2018年5月アーカイブ

 退院したなと思ったら再入院だ。もちろん予定通りなのだが、その予定も前回の入院中に決まったことなので、ここのところは腎臓の野郎に翻弄されながら日々を過ごしている(ちゃんと機能していないくせに)。
 29日は桜満開の五稜郭を生ビール片手にゆっくりと散歩し、その足で日が沈む前に店を開けてもらった行きつけのバーへ(梁川町 BarCozy)。生ビール、ジャパニーズウイスキーでハイボール、そしてシェリー酒のティオペペを5杯くらい呑む。ほどよく酩酊したまま自宅まで歩いて帰った。透析が始まれば、こんな酔いどれ行為は許されなくなるのだろう(か)。充実した午後だった。
 入院前日30日の朝は軽めの二日酔い。仕事のやる気は起きず、溜まっていたテレビ録画を視聴しながら入院の荷造りをする。前回の荷物を完全にほどいてはいなかったので、入院中の必需品はあちこち探し回らなくてもすぐに揃った。朝飯はパンと卵焼き、昼飯はもやし炒めと低たんぱくラーメン、夜はおじや。退院後の暮らしを話し合いながら早めに就寝。
 明けて5月1日。6時起床。ピーさんと遊びながら出かける仕度。9時40分に家を出て、50分には病院に着いた。すぐに入院手続きをして、ほどなく病室へ。前回よりも長めの入院になるので、今回はいつものように窓側ベッドを希望しておいた。看護師長さんがやって来て、窓側は手配がつかなかったので個室へ、と案内される。おっと。そこは一泊おいくら万円ですか、と即座に確認してしまった。一泊1,080円(自己負担する差額ベッド料金)ということで、バカ高いわけではない。とは言え、部屋も立派ではない。ただただ個室なだけだ。とりあえず、看護師さんに確認した上で、床頭台や電動ベッドの位置を自分好みのレイアウトしなおす。やはり机は窓際が良い。ベッドも部屋のど真ん中にあったが(介助がしやすいためだろう)、俺は自分で寝起きができるのでベッドを壁際に寄せた。パイプ椅子に愛用の座布団を敷いて床頭台の机に向かうと、存外にしっくりくる。4人部屋の窓側ベッドが空き次第移動するという約束だったが、この快適さは捨てがたくそのまま居座ることにした。連休明けには予約が入っているので、それまでということだが。
 前回の手術は全身麻酔ということで、とにかく準備することが多かった。万全とはああいうことを言うのだろう。今回は局所麻酔での手術なので、事前準備も四分の一くらいで済んだ。全身麻酔の素晴らしさを経験したので、局所麻酔には「手術の途中で麻酔の効き目が弱まって痛みがひどくなる恐怖」という悪夢を想像して、すこし余計な心配をしてみたり。夕方、担当医の一人が回診に来る。明日の執刀医のようだ。CAPDおよびAPDの運用(とくに併用)について質問をいくつか。どちらの透析方法が有意に効果的か、という質問に対しては、逆にどちらがライフスタイルに合っているかと問い返された(それぞれで透析のために拘束される時間や回数が異なる。いずれも自宅や外出先でできるのは同じ)。つまりは、効果に大きな差異はないのだろう。このあたりは追々さらに確認してみるつもりだ。外での仕事が立て込んでいるときはAPDで、家で落ち着いて仕事をしているときはCAPDで、そういった併用ができないかと考えている。さて、前回と今回の手術で、腹膜透析のための準備(お腹の中にカテーテルを入れて液体の常設出入口をつくる)は完了だ。成功を願いつつ就寝した。
 翌2日、6時起床。普通に朝めしを食べて、歯を磨き顔を洗い手術着に着替えて(今回は丁字帯は必要なし)準備完了。点滴針は右手甲で一度失敗して看護師交代。左手甲で成功。いつもよりちくちくと痛い。入れているのは抗生物質との由。9時20分、手術室へ歩いて移動。前回ほどの高揚感がない。昨夕の執刀医が迎えに来る。読者の皆さんの総意として、手術のついでに脂肪も吸引してもらえと言われたと伝えると、それは身体に負担がかかるからおすすめできないと言われたので、泣く泣くあきらめた。9番の手術台に案内されて、階段を使ってよじ登る。前回の手術では直前の準備が、テレビで見たことがある救急救命特番のような雰囲気で進んでいたが、今回はすこし余裕がある感じだ。しかし、これから意識のあるまま腹を切られるのかと思うと、だんだんと緊張感が滲んできて呼吸が荒くなってしまった。深呼吸を繰り返して平常心を取り戻すように努力する。「腹膜透析用カテーテルの取り出し術を始めます。予定時間は30分です。」のようなことを執刀医が言って手術が始まった。麻酔をします、と言われて腹にぷつりと針をさされた瞬間が痛かった(7鼻毛)。ゆっくり深く効かせていきますと言われて、なるほどだんだんと痛みは引いて、押されたり引っ張られたりする感覚だけが残る。焦げ臭い匂いがした。おそらくいま切り開いたのであろう。ぐいぐいと腹を押される。カテーテルを引っ張り出すようだ。イタタタた(断続6鼻毛)。局所麻酔が追加されるがちくりちくりとした痛みは続く(断続6鼻毛)。深い部分なのですこし痛みます、と言われて、これは我慢する時間帯だと理解する。ここが今回の手術の山場で、そこからは痛みはほとんどなかった。傷口を縫っておしまい。自分で手術台から降りて車イスに乗る。部屋に戻ると10時15分くらいだった。※「鼻毛」は痛みの単位です。
 すぐに点滴も外れて、いきなりの自由を得た。たまに傷口がずきりずきりと痛むが、前回の苦痛(おもに尿瓶が上手に使えない精神的苦痛)に比べると気楽。痛み止めを飲む。さっそく、お腹から出ているカテーテルが機能しているかを確認するために透析液を注入する。どうやらこの病院では腹膜透析の実績が少ないらしく、病室にわらわらと見学の看護師さんが訪れて、「久しぶり」「初めてだから見ておきなさい」「緊張する」などと発言していた。腹膜透析の弱点は、身体の内部に通じる出入口が外に晒されている点だ。そこを通じて悪いものが体内に入り込むと、腹膜炎などを発症して腹膜透析を断念するしかなくなる。そのために、ヒューマンエラーによる汚染を回避するために、カテーテルをつないだり切り離したりする手順が機械化(自動化)されている。昨日のうちにマニュアルを読み込んでおいたので、看護師さんの作業を見ながら操作手順を確認できた。非常に簡単だ。とにかく、清潔さに配慮できれば問題ないだろう。1.5リットルの透析液を入れる。CAPDの場合は、液の注入も排出も圧力をかけるわけではなく、高低差を利用して出し入れをする。結構な勢いで流入してお腹が膨らんだ。10分かからない。500mlの缶ビールなら三本、もしくは生ビール中ジョッキで四杯くらいを、いっきに飲んだのと変わらない状況のわけだ。この状態から腹いっぱい食べたり飲んだりするのは苦しそうである。CAPDだと、この状態をキープしていくことになるので(4〜6時間ごとの液の入れ替えがある)、腹回りだけでも痩せて凹ませないと格好は悪いかもしれない。ただし、APDに問題なく移行できれば、透析液を留置させておくのは就寝時だけになるので(眠っている間に機械が自動的に透析液を何度も入れ替える)、この懸念は解消されるのだが。廃液には30分ほどかかった。1リットルくらいは一気に流れ出てくるのだが、そこから寝返りをうったり、立ち上がったり、身体をひねったりして、絞り出す感じ。肛門の内側あたりがきりりと痛むが、これはカテーテルの先端がそのあたりにあるためらしい。痛みは排出がちゃんとおこなわれている証拠でもあるという。はじめて体内から出てきた透析液は濁りもなくて透き通っていた。その後すぐに二度目の液注入。4時間後に廃液すると、今度は1.5リットルが1.74リットルになっていた。浸透圧によって身体の水分を排除(除水)したことで量が増えたわけである。さらに、もう一度の注入。4時間後の19時に排出。1.7リットル。透析によって約500g痩せたということになるのだろうか。この日はこれでおしまいで、夜は液を注入せずに就寝ということに。
 18時ころ腹膜透析の機器を提供しているメーカー(バクスター)の人が来て、看護師さんたちにAPD(就寝時に全自動で透析液を出し入れする機械)の操作手順を説明をしていた。大きさはひと昔前のA4のファクシミリ付きプリンターくらい。どっしりと重い。メーカーの人に宿泊を伴う外出先での透析について、どのような対応が取れるのか確認してみた。CAPDの場合は小型の接続機と透析液だけを持参すれば、どこでも透析を続けることは可能だ。接続機は手荷物でも持ち運べる。APDの場合は自動車での旅行なら可能だろう。いずれの場合でもネックになるのは透析液の持ち運びである。一日分で8〜10リットルだから、数日にわたる旅行の場合はこれを手荷物で持ち運ぶのはムリだ。預け荷物にしても、エキストラチャージが高額になるだろう。そこで、メーカーのサービスとして、滞在先に透析液を届けることができるのだという。国内ではだいたいどこでも問題ないようだ。海外へも手配が可能だが、日本から透析液を送るわけではないらしい。各国のバクスターで透析液を準備するので、いま使っている日本仕様の透析液および機械とは異なる場合が多いとのこと。となると、カテーテル接続部分の付替えが必要で、かつ透析液の手配にも最短で8週間かかるということだった。もちろん、前提として主治医の許可も必要になる。かなり面倒くさいことになったな、と思いつつも、海外渡航がまったくできなくなるわけではないことに安堵する。取材と旅行の可能性がある中国・台湾・ヨーロッパ諸国での環境について確認してもらうことにした。お忙しそうですね、と言われたが、この先も忙しく働けるかどうかはわからない。
 ということで、2018年5月2日、慢性腎不全による人工透析が始まったことで、私は身体障害者になったのでありました(まだ認定前だけど)。

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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