01 日記: 2024年4月アーカイブ

 無事に退院できたので総括しておく。いつか同じ症状を感じた時に役立ててもらえるかもしれない。今回は「狭心症」からの「経皮的冠動脈形成術(PCI)」という治療。
 なお、医療に関する記述は、俺の記憶やメモに基づくものなので、間違いや勘違いがあると思う。これは金をもらった原稿ではなく、個人的な手記なのでご了解願いたい。

 はじまりは正月7日明けころ。晩飯に餅を食べて寝転がって間もなくして、強烈な胸焼けを感じた。胸がつまる感じから、次第に胸が重苦しい感じに。横なっていられなくて、起き上がって苦しんでいると、妻が背中を擦ったり叩いたりしてくれて、苦しさを紛らわすことができた。3時間ほどで症状が収まった。餅は消化に悪いと言うし、食べすぎたかしらと首をかしげて終わった。
 その数日後の土曜日、午前中に鍼灸院で鍼とマッサージの治療を受けていた。所要時間は60分弱なので、その間はずっとうつ伏せになっている。治療の半ばあたりで胸が苦しくなってきた。なんだろう、朝食は食べていないので胃もたれのはずもなし。そんなことを考えながら治療を終え、いつもはついでに実家へ顔を出すのだが、だんだんと苦しさが増してきて、これはヤバイと直行で帰宅。そこから夕方まで胸の苦しみが続いた。さすがに病院へ行こうかと思ったが、土曜日であることに躊躇した。また、苦しみながら「胸の痛み」などをネット検索すると、胃の不調と心臓の不調のふたつの可能性があると知った。
 ここで正常性バイアスが全開になり、こりゃ年末年始の暴飲暴食と佳境に入っていた編集仕事のストレスで胃腸がやられたのだろうと判断し、様子見の判断をしてしまった。約6時間ほど経って、ようやく胸の苦しみがなくなった。この日から、胃腸を労るつもりで食事は「おかゆ」中心にした。
 その後のおよそ10日間、夜中・朝方・夕方と時間やシチュエーションに関係なく大小の胸の苦しみが頻回になる。何年も胃カメラを飲んでいないし、ここは面倒でも検査を受けようと、週3で透析治療をしている函館泌尿器科の主治医に、胸の痛みを報告しつつ胃もたれじゃないかと伝える。ここで良かったのは主治医の判断で、患者の妄言(胸が痛いのが胃もたれのせいだ)を取り合わずに、循環器科への紹介状を書いてくれたことだった。とは言え、俺自身は胃の検査をしたいのに、心臓を検査するなんて遠回りだなと愚かにも考えていたのだが。
 2月上旬、函館新都市病院の循環器科を受診。これまでの経過と症状を紙に書き起こして持参した。レントゲン・エコー・MRI(造影剤入り)で心臓を綿密に検査。頻回に起こる症状と画像から観た心臓の状態から、狭心症の疑いがあるということになり、なるべく早めに精密な検査を行うことを強く勧められる。こちらは呑気に胃のせいだと思っていたし、抱えている編集仕事は切羽詰まって1時間も無駄にできない状態だったので、最初は4月でどうでしょうかなどと言ったいたが、医師の「手遅れになるかも」という言葉を耳にして、可能な限り早い日程で検査入院することにした。
 入院の数日前までに印刷所へデータを渡し、3年かかった書籍の作業に目処がついた。2月20日、心臓カテーテル検査で入院。鼠径部からカテーテルを入れ、冠動脈(心臓に栄養を送る動脈)の近くまで通して、血管に造影剤を直接流して、立体的なMRI映像を撮影した。検査に要した時間は1時間ちょっとだったと思う。その後、医師から「冠動脈の重度の狭窄が2箇所。心臓の3割ほどが機能低下もしくは停止しており、心筋梗塞の状態である。なるべく早く、狭窄部位の処置が必要。手術の方法はカテーテルによるステントの留置か、胸を開いて血管にバイパスをつくるかの2つ。部位の状態が難しいので、手術は別の病院を紹介する」と説明される。ここでようやく正常性バイアスは崩壊し、そうかやっぱり心臓だったのかと覚悟を決めた。
 2月28日、市立函館病院の循環器科を受診。レントゲン・エコー・MRI。3月5日、再受診。医師からの検査結果の説明。やはり手術は必要だが、胸を開くバイパス手術ではなく、カテーテルによるステント留置で済みそうだと聴いて、すこし安心する。バイパス手術になる場合は、低侵襲(小さく切開する)の手術にしたかったので、市内で難しければ札幌か東京で手術しようと考えていた。とは言え、俺の心臓の狭窄は重度であり、すべての箇所を一度には手術できないとの説明も受けた。思えば2018年12月に独り暮らしの部屋で亡くなった弟は、後に受け取った監察医による診断書に冠動脈の疾患と書いてあった。同じだ。あいつはこの胸の苦しみを独りで耐えて、そうして独りで逝ってしまったのか。苦しくて痛かっただろうな。
 3月は確定申告(自民党の裏金脱税議員に鉄槌を!)、テレビ番組の収録、札幌出張、2ヵ月ごとに実施している腕の血管の手術(透析関連)、年度末納品の仕事、飲酒のお約束が3つ、そして当然ながら週3回の透析治療。入院はそれらをすべて解消してからにした。
 3月31日、市立函館病院へ入院。日額3,300円(税込)の眺めの良い個室に入ることができて、手術を控えながらもご機嫌だった。4月2日、1回目の手術。左冠動脈を狭くしているプラーク(石灰化)を超音波とバルーンで崩し拡げてからステントを留置する。手術時間は2時間ほどだった。痛みはカテーテルを入れる部位にする局所麻酔のプツリとしたもののみ。麻酔なしでおこなった透析穿刺の痛みに比べたら全然平気だった。術中も術後もまったく痛みなし。医療技術の進歩に大感謝だ。術後、動脈からカテーテルを挿入しているため4時間の止血が必要で、その間は身動きができないのが辛かったが、妻に来てもらって気を紛らわすことはできたのは幸いだった。
 4月4日、2回目の手術。右冠動脈はさらに重度な狭窄があり、超音波とバルーンのみではプラークを処理できず、ドリルで血管内を削る手術となった。なかなかの音をたてるドリル、胸の奥で感じる振動。貴重な体験だった。手術時間は4時間弱。手術による痛みはやはり最初だけだが、意識があるなかで4時間も身動きができないのはものすごく辛かった。さらに加えて、そこから4時間の止血時間も動きが制限されるので、この2回目の手術は本当にきつかった。
 結果、一連の手術は成功ということだった。4月6日、朝10時には退院。その夜は珍しく豚肉ではなく、わりとお高めの牛肉を少量購入して、すき焼きを食べビールを一口飲んだ。

 俺の狭心症の原因は動脈硬化である。肥満・高血圧・糖尿病・喫煙・運動不足などによって血管の柔軟性が失われ、さらに血管内が石灰化することで狭窄が起こる。三十代半ばに糖尿病と診断され、それから努力したり怠惰になったりを繰り返しつつ、動脈硬化に対処する薬は服薬してきた。また、取材でも飲酒でも歩き回っていたし、趣味で自転車にも乗っていたので運動不足という状態ではなかった。しかし、四十半ばで透析が始まってから、いっきに体力と気力が低下して、日ごとに歩く距離は短くなり、歩くスピードは後期高齢者なみの速度になって、あきらかな運動不足になっていた。また、透析患者つまり腎臓が動いていないと、血中のリンの濃度が高くなり、その結果として体内のカルシウムが過剰に溶けだし、血管内の石灰化が顕著に進むことになる。
 糖尿病(2型)にしても、動脈硬化症にしても、いわゆる生活習慣病は予防できる病気である。俺はもう手遅れだが、みなさんはぜひ過信せず予防に努めてほしいと思う。
 その根源をいつか分析したと思っているが、俺には生きることに「投げやり」な感覚がある。若いころから意識はしていた。結婚はしたが子ども得ることがなかったので、誰かのために生きたい(長生きしたい)という感覚を強く持つこともなかった。そのクセ、俺自身は弟のようにぽっくり逝くことなく、もう15年近く高額な保険医療費を貪り続けている存在である。いくつか抱える病気や障害の予後を考えると、長生きできても60歳くらいだろう。残り10年弱。その期間のすべてを活動できるとも限らない。残りの時間をどうやって使おうか。怠け者の俺に、その短い時間で成せることはあるのだろうか。
うまい酒は飲み続けたい。とは思う。

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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