02 教えたいことの最近のブログ記事

 本日(5月24日)、公表された奥尻島の「入島税」について。
 奥尻町からの発表内容がすこし説明不足だったのか、報道機関(北海道新聞の記事しか読んでいないけど)がいじわるなのか、多くの人が目にする短文のヘッドラインニュースでは「税への懸念」しか読み取れないためなのか、ネットで拾ったご意見を眺めると誤解含みの批判の声も聞こえてくる。
事前の検討段階から内容を知る立場にあったが、「みんなの手(入島税)で美しい奥尻島を守る」「美しく美味しい奥尻島はみんなの(入島税の)おかげ」という流れは、大いに理解を得られると感じていた。
 しかし、どうも「税」という言葉に、悪く引っ張られちゃった印象か。昨今、「税=無駄遣い」的な雰囲気があるしね。当然、「税」という名称についても、こういった懸念は協議されていたのだが。
おそらく行政的な制約で「税」という語句の使用は仕方がないことだと思うのだが、「入島税(おくしりブルー保全協力金)」とか「入島税(島守金/しまもる金)」とか「入島税(奥尻ごちそうさま基金)」とか、ちょびっとだけやわらかなネーミング(目的説明)を併記させる方法もあるのかも。
 とは言え、導入まではまだまだ数年かかる大きな決断だ。記事にもある通り、じっくりと理解を広めていくしかない。おそらく、奥尻町としての「思い」がきちんと届くようになれば、この取り組みは高く評価されるはずだ。
 もちろん、迎える側(税をいただく側)の奥尻町と島人も、それに応える努力と工夫を精一杯おこなっていかなければならない。だから、「入島税導入」の発表は、本気で観光に取り組もうという奥尻町としての覚悟を示したものなのだ。
 さて、地元(函館支社・江差支局)の記者が、どんな記事を書いてどのような論評をするのかにも注目だ。

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※画像は北海道新聞(2013年5月24日夕刊)に掲載された記事。

奥尻、入島税を検討 観光事業の財源確保
2013年05月24日  北海道新聞夕刊全道(総合)

 檜山管内奥尻町は24日、奥尻島への来島者から1人100~300円程度を徴収する「入島税」の導入を検討していることを明らかにした。数年以内に実現させ、観光振興に使うという。島外に出かけてから戻る島民も対象にするため、反発も出そうだ。
 入島税は、地方税法に規定がない法定外目的税の一つ。地方自治体は条例を定め、総務相の同意を得れば導入できる。総務省によると、沖縄県伊是名(いぜな)村(伊是名島)などいずれも沖縄の3自治体が入島税を導入済み。
 奥尻町は今後、税の額や徴収方法などを詰める。24日に道庁で記者会見した田中敦詞副町長は、「今後、島民の理解を得る必要があるが、新税収入を観光事業に役立て観光客を呼び込みたい」と説明した。奥尻島を訪れた観光客は、2011年に約3万3千人だった。
 入島税の導入は、町が進める新たな財源確保の「資金循環モデル構築事業」の一環とされている。
 事業の他の試みとして、町は来年6月に奥尻島内でマラソン大会を開き、出走者から参加料を得ることを計画。島の関係者や企業に加わってもらい、奥尻の特産品を使う加工品などを開発する団体を設立、売り上げの1%ほどを寄付金として町が受け取る構想もある。



<5月25日 追記>
北海道新聞で関連の続報・解説記事が掲載されました。
全道版・地方版にそれぞれあります。
以下、参考資料として転載。


【全道版】
奥尻町が「入島税」検討*財政の逼迫、背景に
2013/05/25  北海道新聞朝刊全道(総合) 

 檜山管内奥尻町は24日、来島者から1人100~300円程度を徴収する「入島税」の導入検討を明らかにしたが、その背景には島の主産業である観光業と漁業の低迷、人口減による財政の逼迫(ひっぱく)など、町の苦しい台所事情がある。
 入島税は、地方税法に規定がない法定外目的税の一つ。地方自治体は条例を定め、総務相の同意を得れば導入できる。
 奥尻島への観光客入り込み数は、2001年に4万9千人だったが、10年後の11年には3万3千人に減少。漁獲高は1991年には15億2千万円だったが、20年後の11年は9億2千万円まで落ち込んだ。さらに93年の北海道南西沖地震を挟み、島の人口も年々減少。95年の4301人が、13年4月末現在では2981人となっている。
 税収が縮小し、観光客の誘致促進を図るにも予算不足が深刻になったため、新たな財源として来島者から税を集める方向で模索を始めた。税額は今後検討する。
 ただ、町は島の外に出かけ、戻った島民にも税を課す考え。函館市内の病院などに定期的に通う島民もいて、その理解を得られるかハードルは高い。また、町はフェリーや航空便の運賃に上乗せする形で税を課す方法を検討するが、ヨットで島を訪れる観光客もいて、徴収方法をどうするかなどの課題もある。
*導入の沖縄3村*自治体の安定財源に 船賃上乗せ住民負担
 檜山管内奥尻町が導入を検討している「入島税」は既に沖縄県の離島3村で導入している。財政難に悩む3村にとって新たな収入源となったものの、船の料金に上乗せされるため頻繁に使う住民ほど負担がかさむなど、解決すべき課題は多い。(経済部 升田一憲)

 総務省によると、3村は伊是名(いぜな)、伊平屋(いへや)、渡嘉敷(とかしき)。いずれも沖縄本島から離れた離島で、行き来するには村営のフェリーや高速船を利用する必要がある。3村の入島税はいずれも本島との間を行き来する船の利用料金と一緒に1人100円を徴収し、環境協力税と名付けている。
 観光以外に主な産業が乏しい3村にとって、入島税は貴重な財源。人口約700人、村の歳入が15億8100万円(2011年度)の渡嘉敷村は11年4月に入島税を導入。11年度で860万円、12年度で910万円の税収があった。海岸や道路の清掃費、キャンプ場の委託管理費などに使う。
 導入前に住民向け説明会も実施した結果、大きな混乱は生じていないという。村の年間予算のうち自主財源は4%に過ぎないため、村の宮平昌治総務課長(58)は「新たな財源を確保できた」と評価する。
 一方、座間味村は、11年の議会で入島税条例案が否決され、導入のめどがたっていない。ダイビングなどで訪れる観光客は1回で済むのに、病院通いや仕事などで船を頻繁に使う住民の方が負担がかさむことに、反発の声があるためだ。
 離島が多い沖縄県では、クルーザーを使って複数の島を回る観光客も多い。こうした観光客からは入島税を徴収できない状況が続いている。
 
◇法定外目的税◇
 地方税法に定められていない税目を、地方自治体が独自に条例を定めて徴収する目的税。創設には総務相の同意を得なければならない。「環境税」や「宿泊税」などの例がある。地方税法に定めがある"法定内"の目的税には「自動車取得税」「軽油引取税」「入湯税」などがある。


【地方版】
「町民も対象」に戸惑い*奥尻入島税検討*町は自然保護強調
2013/05/25  北海道新聞朝刊地方(函館・渡島・桧山)

 奥尻町が24日明らかにした「入島税」導入の検討について、町内からは「観光に対する影響は小さい」とする意見の一方、「町民も対象とするのは納得いかない」と反対の声も出た。
 町によると、来島者1人に100~300円の課税を検討。観光資源となる島の自然を守るため、観光客にも町民にも負担を求める考えだ。入島税による税収は森林の保護管理や海岸線のごみ回収・処理費などに充てるという。
 奥尻島観光協会の制野征男会長は「観光客は奥尻に魅力を感じて訪れるのだから、少額の税負担なら影響は少ないのでは」と冷静に受け止める。だが、町内で民宿を経営する菊地勇人さん(49)は「どんな影響があるか分からないが、観光客は減少傾向。入島税の導入で、さらに減らないか心配」と懸念を示した。
 町内には通院や買い物、出張などで島外に出る町民も多く、町民も課税対象となる可能性があることに対しては反発もある。奥尻地区の自営業男性(63)は「自分の島に帰るたびに税金をとられるのは合点がいかない」と疑問を呈した。
 町は上陸する町民と町外からの観光客を区別して入島税を徴収するのは難しいと考えている。
 新村卓実町長は「反発は覚悟しているが、住民にしっかりと説明して理解を得ながら新たな財源の確保に努めたい」と話した。(山田一輝)


<5月30日追記>
読売新聞に掲載された関連記事です。

奥尻町、入島税を検討 人口減少で財源確保
(2013年5月30日  読売新聞)

 奥尻町は、島に入る人から1人当たり数百円程度を徴収する入島税導入の検討を始めた。町の人口が減少し、税収も減っている中、町の観光振興を図るため、新たな財源を確保するのが狙い。数年以内の実現を目指し、住民説明会を開くなどして理解を求める考えだ。入島税が導入されれば、道内では初めてとなる。
 町によると、来島者1人から100~300円の徴収を想定している。昨年1年間に島を訪れた観光客は約3万2000人で、入島税が導入されれば年間300万~900万円の財源が確保できると試算する。
 導入に向け、町は昨年11月から、奥尻島観光協会や外部の観光専門家らと意見交換している。来月7日には議会側に説明することにしており、徴収方法や町民も課税対象とするかどうかを議論する。
 町の基幹産業は観光と漁業で、入島税を検討する背景の一つに、人口と観光客が減っている現実がある。人口は1962年の8254人をピークに、今年3月末時点で2978人に減った。観光客数は「離島ブーム」でにぎわった91年度の約5万9000人から大幅に落ち込んでいる。
 これに伴い、町財政が窮迫しており、今年度一般会計当初予算約31億1500万円のうち、自主財源にあたる町税収入は約2億8400万円と全体の1割にも満たない。
 ただ、町には慎重論もある。奥尻島観光協会の制野征男会長(69)は「個人的には町民に負担を求めずに、東京都の宿泊税のように課税対象を絞った税の方がいい」と語る。
 町町内会連合会の神崎通会長(76)は「仕事や通院で定期的に島外へ向かう町民が少なくない。町からの情報が少なく困惑している町民もいる。町民への説明を尽くしてほしい」と訴えた。


<6月8日追記>
北海道新聞に掲載された続報記事です。

入島税 議会に反対の声 「町民や観光客が混乱」
2013年06月08日  北海道新聞朝刊地方(函館・渡島・桧山)

 奥尻町議会総務産業常任委員会が7日開かれ、町が導入を検討している入島税について、初めて町議会に説明した。町議からは「導入を見送るべきだ」といった反対意見や再検討を求める声が相次いだ。
 町は安定的な財源確保策として来島者1人に100~300円の税金を課す入島税の導入を目指している。買い物などで島を離れ帰ってくる町民にも負担を求める考えで税収は観光資源として魅力ある島の自然を保護するために活用する方針。
 常任委には町側から田中敦詞副町長らが出席した。島内で高齢化、過疎化が進行する中、今後、観光を産業の柱に据える方針を説明。観光で収益を上げて税を徴収し、税収を観光振興に還元する政策を考えている点を強調し「今後、検討委員会を設置して入島税以外の税の検討や、入島税の免除対象などを議論したい」と、導入に理解を求めた。
 町議からは「入島税は町民や観光客を混乱させるのではないか」「通院で島を行き来する人も多く、(入島税は)町民にとって影響が大きい」などと批判の声が上がった。(山田一輝)


<6月12日追記>
北海道新聞に掲載された続報記事です。

入島税 奥尻困惑*外出→帰島のたびに徴収
島民に十分な説明が必要 町「自然景観維持の財源に」

2013/06/12  北海道新聞朝刊地方(函館・渡島・桧山)

 【奥尻】町が打ち出した入島税導入方針が、島内に波紋を広げている。観光客のみならず、島外から島に戻る住民も課税対象となるためだ。町は税を島の大切な観光資源である豊かな自然の保全に活用する考えだが、島民の間からは「唐突すぎる。慎重に議論すべきだ」との声も聞こえる。(山田一輝)
 「5年後、10年後を考え観光に力を入れる。そのための財源の一つと考えている」。7日の町議会総務産業常任委員会で、導入の趣旨を説明した田中敦詞副町長は強調した。これに対し、委員側の意見は「観光客が減ってしまう」など、ほぼ反対一色だった。
 町の計画では、島に上陸する人1人につき100~300円を徴収し、自然保護などに活用する。具体的な仕組みは検討委員会を設置して議論する予定だ。
 導入を目指す背景には、マチの衰退に対する危機感がある。1993年の北海道南西沖地震から20年を迎える町の人口は2981人(4月末現在)と、発生当時から約4割減少。主要産業の漁業も、2012年度の漁獲高は約6億8500万円とピークの06年度に比べ約4割落ち込んだ。
 そこで、町は観光産業に活路を見いだそうとしている。同島を訪れる観光客数は、91年度の約5万9千人をピークに減っているが、それでも12年度は約3万2千人と人口の10倍を超えている。
 奥尻の「売り」の一つの美しい自然景観を維持するため、観光客だけでなく町民にも負担を求め、安定的な財源としたい構えだ。
 しかし、島民に戸惑いが広がる。毎月、函館市に通院する自営業男性(68)は「自分が住む島に帰るたびに課税されるのは納得いかない」と憤る。民宿経営の川尻清美さん(56)は「『南西沖地震で全国から支援を受け、さらに取るのか』とイメージが悪くならないか心配です」と懸念を示した。一方、観光客の中には理解を示す人も。千葉県から来た無職渡辺勇一さん(65)は「金額もそれほど大きくなく、島の環境保護に使うなら抵抗感はない」と話した。
 町は1年程度をめどに議論を続けて結論を出す方針で、高齢者や低所得者など免除対象をどう決めるのか、ほかに有力な税がないかなど幅広く検討する。新村卓実町長は「今のうちに新たな財源を確保する必要があることを丁寧に説明していきたい」と力説した。
 観光による地域振興が専門の帝京大(東京)経済学部の金振晩(キムジンマン)准教授は「行政はなぜ入島税が必要なのか、その使い道や納税者へのメリットなどをしっかり説明しないと理解は得にくい」と指摘する。
 
◇入島税◇
 地方税法に規定がない法定外目的税の一つ。地方自治体が条例を制定し、総務相の同意を得て導入できる。奥尻町は島に上陸した1人につき、100~300円を徴収し、環境保全の財源とする方針。
 総務省によると、奥尻の入島税と同様な趣旨の税は、沖縄県の伊是名(いぜな)、伊平屋(いへや)、渡嘉敷の離島3村が導入済み。3村とも「環境協力税」の名目で、島民も含め船の利用料金と一緒に1人100円を徴収し(いずれも課税免除あり)環境美化や観光施設の維持管理に充てている。
 一方、導入を目指す島の中には負担を求められる島民の抵抗が強いケースも。同県座間味村は2011年に議会で否決され、実現のめどが立っていない。
【写真説明】奥尻に到着したフェリーから降り立つ観光客ら。入島税導入へ理解は得られるか=8日、奥尻港


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日々の仕事や飲酒や病気のいろいろはこちらで。
たまに糖尿病以外のことも書いてみたりする。
記録のために、「ツイッター」での会話を転載しておこう。

きっかけは些細なことだ。
昼飯の食材を呑気につぶやいたことから始まる。

ツイッター(Twitter)は、ミニブログ・簡易ブログなどと紹介される場合が多いが、
3カ月ほどいじってみた僕の感想は少し異なる。

発言すること自体は「手軽」で「気軽」ではあるが、
ブログを「簡易」にしたものでも、「小さく」したものでもない。
これは、もっと積極的、というか小回りのきくツールだと思う。

興味関心があると判断した人の「つぶやき」が、
次々と自分のページに飛び込んでくる。
その逆、つまり僕に興味関心があると判断した人のページに、
僕の「つぶやき」が飛んでいく。

基本的には、お互いに「つぶやき」を「流している」状態だが、
たまに、その「つぶやき」がより深い興味を抱かせることがある。
そこからがツイッターの本領発揮のような気がする。

あとは下記の実例にて。


【発言者】----------------------------------------------------

  @codaruma : 居酒屋「函館こだるま」 のご店主 http://twitter.com/codaruma

  @monokaki_0138 : 高山 http://twitter.com/monokaki_0138


【やりとり 2010年4月26日15時〜24時】----------------------------------------------------

@monokaki_0138 遅い昼ご飯はおろしたアイヌワサビをご飯に乗せただけ。ツーンとうまい。

@codaruma アイヌワサビ? 沢わさびですか、山ワサビ(レフォール)

@monokaki_0138 たぶんアイヌワサビは通称で、西洋ワサビだと思います。妻の実家からのいただきもの。畑で育てているそう で。結婚して8年くらいたちますが、義母の食文化(亀尾出身)は興味深い。

@codaruma 亀尾地区は旧幕府のお抱え農業試験場、多分北 海道では一番古い歴史ある場所だと思います、庵原函斎の歴史的 行いは、あまり語られませんが、蕎麦、米、その他穀物を育てデーターを残したのは、もっと取り上げられても良いと感じております、亀尾に縁がない私でも、思う

@codaruma 亀尾の自然環境は、大きな川が流れ、雪が少なく、それなりに平地があり(あまし広くは無いけど)日当たりもよく函館市の中では、先人はその環境を見極めてたと思われる、昆布(ひろめかり)鮭、鮎、鱒、その他水産資源、そして鉄なども作られたとても重要な場所だったのでしょう、その他情報も多し

@monokaki_0138 たぶん農住の地としては、この地域で抜群に環 境の良い土地だったのでしょう。漁業と交易を中心とする港町商 都としては箱館(ウスケシ)が発展したわけですが、その周囲に亀尾と亀田という農村(食料供給地)があったことは重要なファクターです。

@codaruma その通りですね、亀尾の歴史を研究された方の 手記をみると、とてもおもしろくて、一気に読んだ事あります、 燃料である炭も大量に作られてたたし、調べると、いかに重要な場所であったかが判ります。

@monokaki_0138 その「手記」を読んでみたいです。妻の母方の実家は、まさに亀尾で林業を営んでおりまして、山や畑や馬(こ れは湯川村のともつながる。馬具とか鍛冶とか)の話題を豊富に聞くことができて、おもしろいテーマだと感じていたところです。

@codaruma その時にスキャンして保存してました、まずは 見にくいけどお試しをDLしても良いのかも。

@monokaki_0138 さっそくDLいたしました。おもしろい。まだ 画面でざっくり読んだだけですが、斉藤三平(奥尻島で三平汁を つくったという伝承あり。島には硫黄鉱山がある)が出てきたり、亀尾が中心地であったのではという発言(これは出身者との会話で今でも滲む考え)とか。

@monokaki_0138 昨年から今年にかけて、亀尾生まれの親戚の古 老が相次いで亡くなったのが残念。追加の聞き取りができたはずだなぁ。それが、僕の役割だっていうのに。

@monokaki_0138 それにしても、俺が今さら言うなって感じですが、デジタルアーカイヴってのは素晴らしいですね。研究者同士で資料を簡便に共有しあえるなんて、ひとむかし前は「無理」って話でしたから。貸し借りは資料散逸の第一歩みたいなところがあったので。感謝です。

@codaruma ありがとうございます、亀尾は旧幕府直轄だった為に、差別されてたような気がします、函館の歴史の影に隠れた重要な事があるような気がします。

@monokaki_0138 なるほど。確かに、その後の「官営」は七飯に移っていきますもんね。亀尾地域の「気質」は特異な雰囲気があ ります。あー、そこのところ、解き明かせないまでも、歴史背景と事実にもっと迫ってみたいですね。


【発言の解説】----------------------------------------------------

「亀尾地区」とは函館市東部にある集落。亀尾町・庵原町・米原町・豊原町など。湯川町と旧戸井町をつなぐ地域で、中央を流れる汐泊川流域の平野には田畑が広がり、後背地の深い山と津軽海峡の海を持つ。大量の古銭が出土した中世遺跡・志苔館跡が近接する。

会話に出てくる手記は「亀尾物語」という文献。データ共有サイトを通じて、スキャニングされたデータを提供してもらう。内容は亀尾地区の住民への聞き取り、函館関連の文献(市史・町史・郷土本)などから亀尾と関係する部分の抜粋、亀尾地区に関する歴史的考察など。書誌は確かめていない。
そろそろ始まりますよ。奥尻島の観光シーズンが。

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◆黄色い奴がお出迎え。

僕は冬の島も好きなんですが、
島旅初級の人にはやはりこれからの季節がおすすめなのです。

5月1日(土)開催の「奥尻しまびらき」は、
その名の通り今年の島観光の幕開けを宣言するイベントです。
そして、この日に島へ訪れてい ただいた皆さんへ、
島人から感謝の気持ちを心づくし物づくしでお伝えるお祭りです。

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◆「奥尻しまびらき2010」の案内チラシ。画像クリックで拡大します。

【開催案内】
 日時:2010年5月1日(土) 14時30分スタート
 会場:奥尻港フェリーターミナル 特設会場

【会場へは】
 当日、奥尻島へ入る場合。
  ・フェリー(ハートランド フェリー)を利用
   江差港 9時30分発(奥尻11時40分着) / 瀬棚港 14時5分発(奥尻15時40分着)
  ・飛行機(HAC 北海道エアシステム)だと
   函館空港 11時25分発(奥尻空港11時55分着)

【お問い合わせ】奥尻町観光課(電話01397-2-2351) 公式案内


「奥尻しまびらき」は今年で第4回目の開催。
初回から、しっかり皆勤させていただいております。

◆第2回(2008年)の記事 前編 後編
◆第1回(2007年)の記事 前編 後編
※去年(2009年)は記事を書き忘れてみたい。

当日の服装は、昨年の写真を参考にしてください。
港でのイベントなので、あたたかい服装をお忘れなく。
ビールを飲むと冷えるんだよね。

では、去年の写真でイベントの様子をご紹介。

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◆来場者に話を聞くと「奥尻島は初めて」という人が多い。

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◆島の人口より多いんじゃないか。そんなことないか。ちなみに島人口は約3300人。

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◆こちらは振る舞い(無料)の元祖三平汁。奥尻島が発祥(という説がある)郷土料理。
 島のホッケはおいしすぎる。あっさり塩味で絶妙の風味を最後のひとくちまで楽しめる。

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◆どーん! 奥尻島のアワビでございます。こちらは有料、でも格安。

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◆思わず笑顔もこぼれちゃうわけだ。

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◆たまらない笑顔でございます。

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◆キトビロ(アイヌネギ)とワカメとジンギスカン(ラム肉)。ビールおかわり。

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◆なんだろ。気持ちが伝わってきます。

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◆たぶん島子ども。こんな感じで、ひとしきり島の味を楽しんだあとは...。

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◆特別ゲスト香澄 KAZUMIさん (江差町出身の民謡歌手)によるライブ。

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◆島ダーツ(無料)。フェリー無料券をもらいました。後日、「函館酒場寄港」の取材時に利用。ダーツを投げている人(妻)は、この1年後に奥尻島民になりました。

抽選会(無料)もございます。ナンデ・コンナニ・オオバン・ブルマイ。
わたくし、過去に「奥尻島産塩ウニ(5000円相当)」が当たってしまいました。

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◆次々と当たっちゃいます。

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いちおう今年も勝手に開催「たこやまをさがせ」。
イベント会場内で「たこやまさんですよね」と声をかけた人にはビールを1杯おごります。
ただし、奥尻町民場合は僕にビールをおごること。

んじゃ、今年も大盛かつ大笑いの出会いを期待しています。
なにしろ奥尻島は「出会いの島」ですから。
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ちょっとだけ、ご挨拶。

どうも。フリーランスライターの高山です。
最近は「テレビで酒を飲んで笑ってる人でしょ」の高山です。
いやいや、地道に取材も執筆もしています。ちょっとずつ。

しばらく音信不通の状態になっても、このブログをチェックし続けていただいている皆さんに深く深く感謝いたします。「いつも見てるよ。そろそろ書いてね」という暖かい言葉に、勇気と重圧をいただきつつ。

今年(2009年)を個人的に振り返りますと、酒浸りの前半戦と糖尿病芸を磨いた後半展開となりました。
夏の終わりには、本当にずいぶんと大切な人を突然亡くすことになり、自分でも信じられないくらい落ち込んだ時期も続きました。
今年もまた忘れえぬ1年だったと思います。

この記事の冒頭に掲載したのは、
2010年1月1日に北海道新聞(函館版)に掲載される新聞広告です。
来年は、本業(いちおう確認のために書いておきますが僕の本職は文筆です)を真面目に積み重ねていくことと、この広告にあるような糖尿病に関する患者の立場からの啓発活動(こちらは仕事じゃありませんが)をおこなっていくつもりです。

そんなわけで、
忘年会が続いて3kgほど体重が増えた(本日88.4kg)高山ですが、
来年もよろしくお願い申し上げます。


追記。
糖尿病に関する記述(日記)は、2009年7月6日の入院初日からスタートしています。それ以前と以後では、食生活に関しては笑っちゃうくらいの大きな違いがあります。
ということで、糖尿病関連のキーワードで本ブログにたどり着いた読者の皆さまは、下記のリンク先ページの最下段にある記事(7月6日・入院初日)から読んでみてください。
かならず参考になるはずです。

函館のイカがうまい理由 with 糖尿病治療日記
http://www.monokaki-0138.jp/hakodate/2009/07/

9月18日(金)

函館大妻高等学校で、8月24日に急死された
外山茂樹理事長・校長先生の学園葬がおこなわれた。

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◆学校正面の桜とツツジの並木。風は涼しいが、まだ晩夏の風景だ。

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◆午前中は生徒たちが参列した葬儀。

読経はなし。
祭壇に向かって、生徒会長と池田校長先生の弔辞が読み上げられた。
茂樹校長の死を、ふたたび実感する。悲しい。

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午後からは、卒業生・関係者・一般会葬者に向けた学園葬。

とくに学校から依頼されたわけではないが、池田校長の許可をもらって
葬儀とその前後の様子を写真に残していく。

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茂樹校長の葬儀は、こんなに天気の良い日でした。

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会葬者が訪れる様子を撮影していると、
学校に隣接する校長先生宅から、喪服に身を包んだご家族が。
奥様と目線があって、遠慮すべきだったのかも知れないが、
思わず歩み寄って挨拶する。いや、しようとした。
奥様と二人のご子息の前に立ち、僕は何も言えず、なんと言って良いのかわからず、
ただただ口ごもって、たぶん顔はくしゃくしゃになりそうで。
  奥様とは、昨年秋に食物健康科の生徒がボランティアで参加したイベント会場で、
  一緒にヤキソバを売るお手伝いをした。
  奥様が容器に輪ゴムをかけ、校長先生が袋に入れたお客に渡し、
  生徒のひとりがお金を受け取り、僕が長蛇の客をさばき呼び込みをした。
  なんだか、急にそのときのことを思い出して、
  「いやぁ働かされちゃったなぁ」と笑っていた校長先生の顔とか、
  一緒に笑っていた奥様の顔とか。あれは、たったの1年前のこと、か。
高山さんですよね。と、声をかけられて、ようやく挨拶をする。
長男は今年大学院を卒業して就職したばかり。次男は大学3年生だったはず。
春に、校長先生から、ここに就職したから、とご長男の名刺をいただいた。
ご次男は学業とともに、アルトサックスのアマチュア演奏家(ジャズミュージシャン)であり、
よくライヴの音源を校長先生からいただいたものだ。

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読経が始まって、ひとりの先生が僕にイスを用意してくれた。
撮影はカメラマンの小泉さんに任せて、僕はカメラを置いて会場のいちばん後ろから
ぼんやりと祭壇を見つめていた。

西尾市長(お母様が卒業生)、PTA会長、同窓会長、生徒会長、
そして池田校長の5人が弔辞を読み上げた。
どれも、茂樹校長先生の思い出を語る良い弔辞だった。
もう、泣くまい、と思っていたのだが、
最後の池田校長の弔辞で泣いてしまった。
悲しさ、そして、この日、なにかしらの区切りがつくことの寂しさと。

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◆卒業生のみなさんも多く訪れていた。

「校長先生というより、私たちにとっては、
 茂樹ちゃん茂樹ちゃんって呼んでいた記憶がありますからね。
 ほんとうに、ついこのあいだ、還暦のお祝いをしたばかりだったのに。」


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葬儀のあと、また、学校の庭園でぼんやりしていた。
ふと足もとを見ると、他の葉よりも早めに紅葉した枯葉が落ちていた。
茂樹校長が見つめていた今年の葉は、この秋にはすべて枯れ落ちてしまうだろう。
しかし、それは枯れて落ちて去ってしまうのではない。
枯葉は庭の木々を育てる養分となって、来年の春には新たな葉を生む。

同じだ。茂樹校長先生の思いは、
これからも新しい芽を生み、葉を育て、大きな幹となっていく。

校長先生、心からご冥福をお祈りいたします。
先生からいただいた多くのものを、すぐさまお返しすることは
僕の能力では間に合いません。
だから、少しずつですが、この学校のために僕ができることを、
お手伝いしていこうと思います。

合掌
9月15日(火)

4時起床。
体重測定91.7kg。便通なし。
4時半、NCVへ。一森くんと一緒に江差港へ。
6時過ぎ江差港に到着。

今回の奥尻島行きは、NCVで放送中の「函館酒場寄港」第六夜を収録するため。
番組を始める前の企画打ち合わせで、最終回には奥尻島へ行きたい、
とか言っていたのが実現した。ちなみに、第五夜で新川町「居酒屋おくしり」を選んだのは、
いちおう前振りだったんですね。俺じゃないよ。ディレクターが考えたの。
低予算(NCVの中では高予算かも知れないけど)番組ですから、
しかもイレギュラーな取材先ということで、
僕からも物資を提供することにした。

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◆今年5月1日の「おくしり島開き」にて獲得したフェリー往復乗船券(ペア)。
 あ、偽造しちゃだめだよ。函館で免許証を偽造して捕まった人がいましたが。

片道2200円(燃油調整金ふくむ)だから8800円分だ。
そうだい。番組にかける俺の愛。
ちなみに、番組出演料は1回2000円。番組内飲み代は5000円まで。
それ以上は自腹という取り決めである。

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◆朝食。昨夜ハセストで買っておいた。2個で4.5単位360kcalくらい。

食べなくちゃ船酔いするリスクが高まるからね。
ここ7〜8年、かなり島へ通っているので、
よっぽどでなければフェリーでの船酔いはしなくなった。
漁船はたまにやっちまうが。カメラを構えてフレームを覗いていると酔うんだよね。

9時、奥尻島に到着。曇りがちだが晴れ間も見える。
役場の満島さんと「うにまる」に出迎えてもらう。

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◆うにまる。中の人が変わって、ちょっと脚が太くなったのはヒミツだ。

車を貸していただいて、島内をぐるっとめぐることにした。
なにせ、お仕事は夜なので。
島内案内役は、函館島民の俺。

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◆この春ずいぶんと楽しませてもらった奥尻ワインを訪問。

腰痛再発の石川くんが力なく笑ってた。
菅川くんに今年のぶどう畑の様子を聞く。どうやら、あまり芳しくないらしい。
あせっても仕方ない。じっくりと、安定的に良いものをつくる工夫をしていくしかない。
がんばれ。
と言いつつ、ワインを社販価格で売らせる。2本購入。

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◆ぶどう畑。素人目にも不稔が目立つかも。天候不順が響いたようだ。
 左の建物は温泉ホテル「緑館」。まるでシャトーのような外観。

青苗「海老須亭」で昼食。
米坂さんがいるかと思ったら、ホテルの方で仕事してるとのこと。

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◆ホッケフライ定食。値段忘れた。700円か600円。5月のときはホッケが2尾だったな。
 ご飯は25%残して3単位240kcal、ホッケフライ4単位320kcal、ぜんぶで7.5単位600kcal。

昼食後、津波館へ。何回来ても津波被害の写真は鮮烈である。
当時、小学生だった子どもたちが書いた文集を読んで涙が出てきた。
奥尻島での震災(北海道南西沖地震)は1993年のことである。
島の遺跡で出土した翡翠の勾玉が、かなり貴重な遺物であるという分析結果が出て、
(ガイドの女性は「価値4兆円」とか言ってた。奥尻島を何個買えるんだ。)
立派に展示されていた。

西海岸に戻って神威脇温泉へ。
いまだに、6年ほど前に雑誌「島へ。」に書いた記事が貼ってある。

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◆2階の展望風呂。かなり熱い温泉。
 窓から見える漁港の向こうは日本海。夕日が美しい。

ということで日も暮れたのでフェリーふ頭近くまで戻る。
今回の「寄港」で紹介するのは、奥尻島親不孝通りにある「叶寿司」。
居酒屋メニューが充実。大将がおもしろすぎる。奥さんが郷ひろみのおっかけ。
寿司。寿司はもちろんうまい。
「函館酒場寄港」第六夜は、10月18日までNCV9チャンネルでリピート放送中です。
契約して見てみれ。って、俺がまず契約しろ、って話だが。
なんでも、ケーブルテレビ単体で新規契約すると、工事費1万円が必要なんだそうで。
過去5回分の出演料を投資したものか迷っている。

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◆ホッケの半熟(しゃぶしゃぶ)。3.5単位280kcal。
 刺身でもいけるホッケをぐつぐつ煮えた醤油だれに浸して食す。

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◆上から、ばくだん、ホヤ塩辛、鶏唐揚げ、ホタテとアスパラのバター炒め。
 なかなか寿司が出てきてませんが。とにかく酒がすすむ。
 ぜんぶで7単位560kcalくらいか。油断して唐揚げをたくさん食べてしまう。

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◆フルボトル2本あけました。丸々1本は俺が飲む。
 ワインで600kca。生ビール3杯で600kcal。

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◆中トロ、納豆巻き2個、イクラ1個、サーモン1個を食べた。500kcalくらい。

22時前に終了。あれ、珍しい。早め。
ぜんぶで2540kcal(約32単位)ほどの飲食。あはは。

この日の宿泊は「民宿いしおか」。定宿の一つ。
10月2日(金)

今日は雨がちなので、田んぼ取材もひと段落。
あちこちから、ブログはどうした、と心配もされていたので、
そろそろ復帰しようと思う。
書きたいことも貯まってきたし。ルーチンワーク化すると逃げ出したくなるんだよね。

しかしながら、いつのまにか半月も時間が経過していてびっくり。
秋は忙しいの。
過去2週間分の「糖尿病日記」は、おいおい振り返って書き継ぐとして、
ひとにぎりの読者が気になっていると思われる体重の推移を先に公表しておく。

ブログをサボっているうちに太ったと思ったでしょ?

たしかに、TV収録や連休や追悼やらで、飲酒(しかも深酒)の機会が多く、
意志に反して医師との約束以上に飲んでしまったり。
また、このブログをサボることで、
「ごまかしてもいっか」という誘惑も大きくなっていった。
 これは、糖尿病治療(食事制限・体重管理)を続けるために、
 ブログ(日記)を記録かつ公開することが非常に効果的であることを示すものだと思う。

停滞も見られるが、それなりの体重減量は続いている。

9月
  15日 91.7kg
  16日 91.3kg 奥尻島で飲酒(NCV「函館酒場寄港」の収録)
  17日 90.6kg
  18日 90.0kg
  19日 90.8kg
  20日 90.5kg 追悼飲酒
  21日 90.7kg 知人と飲酒
  22日 91.5kg
  23日 90.1kg
  24日 90.2kg
  25日 90.3kg
  26日 90.5kg
  27日 89.9kg
  28日 89.0kg
  29日 89.5kg
  30日 90.0kg
10月
  01日 89.1kg
  02日 89.2kg

ということで、記録不在の18日間の結果は、体重2.6kg減(最大幅)でした。
※前回診察日(9月9日)からだと2.2kg減で、
 「1カ月に3kgのペースで」という医師の指示を達成できていない。


追伸。
青森県の星さん。奥さんの言うことは、ちゃんと聞きましょう。
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追悼 函館大妻高等学校 外山茂樹校長先生(7月27日撮影)

ずいぶんと涙を流してしまった。
人前でだらしなく泣いて、でも止めようがなくて、ようやく三日たった。
僕はわずか8年半という短いお付き合いだったが、
正直、ずいぶんと大きな存在を失ったという思いを強くしている。
それは、ご家族、ご親族、学校関係者、
そして、校長先生を知る多くの人たちも、同じ思いを抱いていることだろう。
しかし、それよりもなによりも、僕は悲しくて切なくて寂しくて仕方ない。
胸に穴があいた。確実に。いまは、それをふさぐすべがわからない。

  8月24日、信じられないことだが、
  函館大妻高等学校の外山茂樹校長先生が急死された。
  6月に還暦を迎えたばかり。
  突然の入院から1週間。あまりに駆け足すぎだ。

その日、15時半ころ、僕は第一報にふれた。
「高山くん聞いているか? 外山さんが亡くなられたらしいぞ。」
何を言っているのかわからなかった。すぐに聞き返す。
「なに、どういうこと? 前の理事長先生のことですか?」
「違う違う。しげき、茂樹、校長先生だよ。まだ、詳しいことはわからないんだが。」
なんだそれ。そんなわけないだろ。
どういうことなんだ。ぐるぐるといろんなことが頭をめぐる。
「とにかく、僕は学校に電話をしてみますので。」
激しく咳き込んで18日に入院。学校でも限られた人しかお見舞いができていない。
電話の向こうで事務長先生が説明してくれる。
「あの、情報が錯綜していまして。では、今も入院加療中ということですね?」
そうです。大丈夫です。その言葉を聞いて電話を切る。
しかし、確かなルートから、校長先生の急死を裏付ける続報が届く。
嘘だろう。なぜ。そんな理不尽ってあるだろうか。信じられない。

ご家族だけの葬儀。公表はそれを終えてからということに。
非公式に伝え聞いていたが、やはり、どうしても我慢できなくなって、
翌日の昼過ぎに学校を訪れてしまった。
「ごめんなさいね。昨日、あの時点では何も言えなくて。」
事務長先生と短い言葉を交わすうちに、
なにかがこみあげてきて、そして涙になってこぼれた。こらえきれなかった。

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卒業生の皆さんと、生徒が作った弁当を食べる。(5月30日撮影)

背伸びをして「ものかき」と名乗ってはいるが、つまりは一介の売文の徒であり、
社会一般で見るところでは、単なる出入りの業者でしかないような僕に、
しかも親子ほどの年齢差(実際に校長先生と僕の母親は同い年)がありながら、
校長先生はいつでも気さくに話をしてくれた。僕の話にも耳を傾けてくれた。

「どーだ、どーなった。」「いやぁ、忙しい忙しい。」「悪い悪い、待たせたね。」
いつも、このいずれかを口にしながら、校長先生はせかせかと応接室に入ってくる。
仕事の打ち合わせでは、提案やアドバイスを歓迎する一方で、
「な、やっぱり、これが良いな。な。」と、ご自身の考えをしっかりと持っている人だった。
学校運営はもちろんのこと、多くの公職・要職に就かれていたが、
「(伝統を)守ること」と「(伝統を)つくること」を同時にまっとうできる希有な人材であったと思う。
過去を尋ね知って、いまを多角的に分析し、そして将来の中長期的な見通しをたてる。
校長先生はもともと経済を学んだ研究者であり、
外山家の三代目として函館大妻高校に入る以前は、大学で経済学を教えていた。
教育者としての使命と重責を果たしながら、
経営者もしくは経済学者としての強い自負を持っていたのではないだろうか。

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庭園での観桜会。植樹を手伝う校長先生。(5月17日撮影)

僕は校長先生との長話が大好きだった。いつも、お菓子を食べながら。
音楽、とくにJazzを愛していた。名盤や必聴盤を教えてもらった。
教育や福祉における切実な問題をいくつも聞かせてくれた。
政治、国政から市政まで、縦横に意見を持っていた。
もっとも、立場上それを公にすることはなかったと思うが。
読者家でもあった。僕が読んだ本は、ほとんど先に読み終えていた。
経済学の話は、ずいぶんわかりやすくておもしろかった。
市民向けに入門的な経済学の講座を開いたらどうかと何度かすすめると、
いまはまだ忙しいから、と満更でもなさそうだった。
学校の将来のこと。
そして、ふたりの息子さんのこと。

僕は失ってしまった。
怠惰な僕の精神を刺激してくれる大切な人のひとりを。
僕の仕事を認めて、評価して、励ましてくれる大切な人のひとりを。
寂しくて悲しくて悔しくて切なくて辛い。

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体験入学の中学生に笑顔で声をかける校長先生。(昨年10月13日撮影)

校長先生が成し遂げてきた数多くの事績、
この街に残した大きな成果の数々は、
きっとそれぞれの関係者が語ってくれることになるだろう。

校長先生との個人的な思い出をひとつひとつ書き始めたらきりがない。
それに、校長先生と関わった人たちは、
誰もがそれぞれに大切な記憶をお持ちのことと思う。
いつか、そんな皆さんのお話を聞かせてもらいたい。

ひとつだけ。
先ごろ僕が呑気に入院したとき、わざわざ病室までお見舞いに来ていただいた。
そして、校長先生は、こう言って励ましてくれた。
「まだまだ、がんばってもらわないといけないから。しっかり治すように。」
そうですね。あと10年ちょっと。百周年まではがんばります。
そう言って笑いあったのは、ついこの間のことだと言うのに。

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全校生徒・教職員が整列する中を、
校長先生の棺を乗せた霊柩車が校庭を一周した。(8月26日8時40分撮影)

校長先生、ずいぶんといろんなものを残していかれましたね。
たくさんの種をまき、いくつもの苗が芽吹き、これから次々と実がなるというのに。
でも、いちばん大切にされていた学校は、
これからもたくさんの新しい息吹を生んでいくに違いありません。
校長先生の思いは、ずっとずっと消えることはないと、僕は思い信じています。

たぶん、そちらでも、これまでと同じようにいろいろと頼まれて、
断り切れずに忙しくされているのかも知れません。きっと、そうでしょう。校長先生らしいもの。
そうだ。それから、ピアノの練習を忘れないように。
戦前から学校で大切にされてきたピアノの修理が終わったら、
校長先生みずから校歌の伴奏を披露すると言っていたじゃないですか。
「しばらく弾いていないけど、私の腕前はけっこうなものなんだよ。」

校長先生。
本当に、本当に、早すぎますよ。

2009年8月27日 ものかき工房 高山潤


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食物健康科1年生の戴帽式を見守る校長先生。(6月2日撮影)


【追記】
※9月18日(金)13時から、函館大妻高校にて学園葬がおこなわれます。お問い合わせは学校まで。
※葬儀について。「学校の授業や行事に迷惑をかけることがあってはならない」という校長先生のお考え(ご遺言)を尊重し、ご家族のみで葬儀をとりおこなったということです。
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◆米軍機によって撮影された昭和20(1945)年7月14日の「函館空襲」。
◆先代の函館駅舎や棒二森屋本館(屋上に対空高射砲を設置)などが見える。

(以前、函館市市史編さん室で複写提供してもらった写真。いまはたぶん函館市中央図書館に所蔵されているはず。)

7月14日・15日の北海道大空襲では、青函連絡船をはじめとする青函航路にあった船舶へ激しい攻撃がおこなわれた。函館では連絡船桟橋および函館駅などが爆撃された。函館ドック周辺、駅前(大門)の商店街などにも爆弾投下と機銃掃射があり、この空襲による死者が出ている。つい先ごろも、浅利政俊さんの丹念な調査により、下海岸方面(旧戸井町など)での空襲の死者が新たに確認されている。

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敗戦記念日ということで、
戦後60年の年に書いた文章(8月15日に広告として掲載)を再録。
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敗戦の記念日に

 むかし、祖母は地球儀をくるくる回しながら、小学生の私にこんな話をしました。
 「日本は小さな国だけど、いちばん良い国なんだよ。わかるかい。だってね、戦争のない国なんだから。戦争に負けて、たくさん人が死んで、それでもう、戦争は絶対しないって決めたのさ。だから、日本は戦争に負けて良かったんだね。」
 その言葉を聞いた私は、戦争に負けた日本・戦争をしないと決めた日本を誇りに思い、自分が日本の国民であることをすごく嬉しく感じたのでした。
 日本が戦争へ向かった背景には、複雑な理由がからみ合い、単純に「誰かが悪かった」「何かが悪かった」と断定できないのかも知れません。しかし、他国を 侵略したこと、その国の人たちから尊厳を奪った数々の行為には、それを正当化するいかなる理由もありません。また逆に、巻き込まれるしかなかった多数の日 本人を、非道な爆撃によって苦しめた国も、それを正しい行為だったとは考えてほしくはありません。戦争の当事者はどんな立場であれ、それぞれの犯した過ちに対して真摯に反省を重ね、二度と同じ間違いを犯さないための努力を続けるべきだと思います。
 人を殺すことも、人に殺されることも、どちらもひじょうに辛いことであると、私は想像します。だからこそ、私はそれが「戦争によって辛い思いなどしたくない」というだけの理由ではありますが、平和を求め訴えることに躊躇はしません。

ものかき工房 高山潤
開港記念日はお休みだった。小学校(低学年)のときの昔話だけど。
粗忽な子どもだった僕は、大人になってから「開港」だったんだと気づいた。
函館市民にとって、「開港」という歴史の舞台にたったことは、
やはり誇るべきことなのだと思う。

8月1日から4日まで、恒例の「函館港まつり」が開催されていた。
ごく幼いころには家族で見に来ていた記憶がある。
当時は「1万人パレード」という名前がついていたはず。
中高生のころは、祭りとかイベントには興味がなかったので、
お祭に参加したことも見物したこともなかった。
函館でお仕事をするようになってからは、山車をひくトラックを運転したり、
お祭期間中に里帰りした友人と飲みに出かけたり、と。
いずれにしろ消極的な関わりあい方ではあった。
そのわりに、毎年「港まつり」の記事を書いていたりするわけだが。

海岸町の仕事場から、駅前・大門までは歩いて10分ほどである。
夕方5時すぎ、妻とふたりで久しぶりに祭り見物をしてみることにした。

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◆歩行者天国になった電車通り。パレードのときはもっと人垣ができていたのかな。
◆子どものころの記憶だと、十重二十重に観客が道路を取り囲んでいたものだが。

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◆人混み。北洋漁業で盛況だった時代の函館は、毎夜こんな風景だったんだろうか。
◆当時の昔語りを聞くのが好きだ。良くも悪くも、やっぱり函館は港街なんだなと思う。

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◆出店の人たちは、一様に威勢が良くなかったな。最終日ってことで疲れてたんだろうか。
◆子ども相手に、ずいぶんと態度の悪い店員もいたな。脅すなよ。

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◆祭りの雑踏から一本だけ小路に踏み込むと静謐な風景がある。
◆まだ「栴檀」ってあったんだ。いまも「いもまんじゅう」はあるのかしら。

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◆蔵。

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◆大門の御輿だそうで。かつぎ手にお知り合いがいた。

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◆港踊り・イカ踊りの自由参加会場。

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◆やっぱり、指先の表現が違うわけですよ。あたしゃ惚れ惚れいたしました。

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◆「函館港おどり」。歌詞が秀逸でして。
◆♪踊る心はヤッコラセノセ 波まかせ波まかせ〜
◆もう、港町の本領と本質を見事に表現しております。

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◆祭りの笑顔は無条件に美しい。

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◆こちらは「函館いか踊り」。たいへんバカな踊りで楽しい。

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◆仕事場のご近所では、町内会のお祭が開かれていた。
◆国道5号をまたいで中央ふ頭につながる高架橋の下。

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◆なにをやっているかと覗いてみたら、ラムネの早飲みでした。



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以前どこかで書いた記事の元原稿
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名曲解説「函館港おどり」

♪サアサ ウイタ ウイタ 踊りゃんせ
 踊る心は ヤッコラセノセ
 波まかせ 波まかせぇ

 名曲「はこだて賛歌」(1973年=昭和48年、函館市と旧亀田市の合併を記念して製作)とともに、函館人の心をゆさぶる歌「函館港おどり」。軽妙な三味線の音階と港街らしい投げやりな(もしくは諦観が漂う)お囃子(はやし:冒頭の歌詞)が印象的だ。ちなみに、なぜ市民の心がゆさぶられるかというと、「賛歌」は燃やせるゴミの収集(「旧四町村をふくむ全市内でゴミ収集車週2回流れます」函館市環境部)を告げ、「港おどり」はもちろん夏まつりの到来を告げるからだ。
 さて、この「函館港おどり」という曲は、「函館港まつり」の開催にあわせて製作されたものである。つまり、第1回開催の1935(昭和10)年から函館の街に響いてきた伝統があるわけだ。かつての歌詞では、「♪港開けて ヤレコラショ 喜の字の祝ひ」となっているが、現行の歌詞では「百年(ももせ)の祝い」となっている。
 これは、第1回の開催年が函館開港から77年目(おそらく満年齢の数え方)で、「喜寿の祝い」であったことを意味していると思われる。戦後、開港100周年を前にした1958(昭和33)年にプレスされたレコードでは、すでに歌詞が「百年の祝い」に変わっている。

◆参考資料/CDアルバム「函館港祭り曲集」(PLUS1)

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。C型肝炎患者(難治性・HCV・2011年3月から抗ウィルス治療を開始し、翌年2月に寛解するもウィルス再燃、2014年10月からインターフェロン・リバビリン併用療法で再治療、2015年9月ウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市出身(第一次オイルショックの年に生まれる)。父母はいわゆる団塊世代。取材・執筆のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材)。


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