2013年6月アーカイブ

昨夜、渡辺保史さんが急逝された。
くも膜下出血のため。47歳、あまりに早い。

ぼくが函館でのフリーランスのライター仕事を本格化させたころ、渡辺さんからメールが届いた。桔梗町のモスバーガーで待ち合わせして3時間ほどお話をした。ぼくは興奮していた。インタビューされる側が、インタビューされちゃったよ。そう笑っていた。
当時、渡辺さんは仕事の拠点を函館に移して、精力的に「仲間」を探していたようだ。

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渡辺さんが主宰した市民グループ「ノード・ハコダテ」のトークライブにて(2001年1月)

渡辺さんが語ってくれること・教えてくれることは、ぼくにとってどれもが新鮮かつ刺激に満ちていて、ひとつひとつに蒙が啓かれる感じだった。
そして、中央から遠く離れた地・函館で暮らしながらでも、やれることがるんだ、と覚悟を決めさせてくれるヒントをたくさん与えてもらった。いまもぼくの仕事の中に、その影響を見つけることができる。

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西村佳哲さんを函館に迎えて。「サウンドバム」をテーマにしたトークライブ(2001年7月)

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地域での実践。街の音を探す「サウンドバム@ハコダテ」での1コマ。(2001年7月)

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函館で開催した「
hakodadigital×shrinking cities----縮小する都市の過去・現在そして未来」展にて(2007年11月)

いつも忙しそうに飛びまわる。それが渡辺さんの仕事のスタイルだったのだろう。
人に会うこと、現場に立つこと、実践すること。それらに時間と体力を惜しむことがなかった。全国あちこちに、渡辺さんに会って・感じて・行動した人が多くいるはずだ。そして、これからも渡辺さんが「考えていたこと」は、さまざまなところで萌芽していくに違いない。
たぶん、唯一めんどうだったのは、原稿を書くことじゃなかっただろうか。
ライター同士の立場で話をするときは、いつも「書かなくてもいいなら良い仕事だよね」と笑いあっていた。

渡辺さんが函館を離れてからは、1〜2度ほどしか顔を合わせる機会がなかった。
最後にお会いしたのは北大の研究室。2時間ほどのインタビューをさせてもらった。家族のことを話す渡辺さんのはにかんだ顔を思い出す。

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北海道大学にて。(2008年10月16日)

渡辺保史さん
http://www.facebook.com/yaswtnb

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。C型肝炎患者(難治性・HCV・2011年3月から抗ウィルス治療を開始し、翌年2月に寛解するもウィルス再燃、2014年10月からインターフェロン・リバビリン併用療法で再治療、2015年9月ウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市出身(第一次オイルショックの年に生まれる)。父母はいわゆる団塊世代。取材・執筆のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材)。


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