01 日記: 2009年4月アーカイブ

4月6日(月)
朝方、ちょっとだるくなって事務所の床で寝る。
7時半ころに起きて、机にもたれながら原稿づくり。
14時、昼飯。いつもの丸南熊谷。特盛そば(600円)。
23時くらいまで仕事。

4月7日(火)
15時半、港町「まる家」で昔風塩ラーメン大盛(500円+100円)。
ついこの間まで焼き肉屋さんだった店。でも店名が同じだな。
がっちょり熱っついスープ。まるで自分の家でつくったインスタントラーメンみたい。
昔のラーメンって、とくに函館のは、熱くないような気もするが。
刻んだ昆布が入っていて、海藻の香りがただよう。
たぶん化学調味料が多め。たぶんだけど。喉が渇く。
店の奥から、「今夜はスープをつくらなくちゃダメだな。だいぶ濁ったわ」と
電話の会話が聞こえる。毎日つくってないのかぁ。
安いので許すか。
置いてある新聞が、スポーツ新聞と日本経済新聞だった。珍しい。
いったん帰宅して、18時くらいまでゴロ寝。
20時ころ事務所。今夜は徹夜と思っていたが、体力が尽きて午前1時まで。
七重浜のモスバーガーで、
モスチーズバーガー・焼き肉バーガー・コロッケバーガー。
電話注文してから行ったら、電話代ですと、袋に入った十円くれた。
帰宅してぐったり。
4月4日(土)
11時、朝日ニュースターで愛川欽也パックインジャーナルを見る。
いきなり誤報。
14時、港町「みなと食堂」で、いつもの骨なし両方大盛り。
事務所で原稿書き。
翌2時ころ帰宅。

4月5日(日)
10時に事務所。ずっと原稿づくり。
13時、亀田港町「永源ラーメン」でカツカレー大盛り。
星野さんからココナッツクッキーをもらう。ばかうま。
そのまま徹夜。
もうあんまり寒くないね。
4月3日(金)
鼻毛の抜きすぎによる炎症は治癒。しかし鼻水がおさまらない。
もしかして、花粉症なのかも。
5時半に起きて北ふ頭へ。
6時半から「あさかぜ21」船内で、移動介助の講習会を撮影。
7時半、いったん部屋に戻って朝食。知内ニラを二たば山盛りにした鍋焼きうどん。
9時に事務所。原稿書き。
14時、青函フェリーターミナルでパンフレットの打ち合わせ。
そういや、受付の人に、このあいだ「たつみ」にいましたよねと言われる。
1300円。って、昼食代金を記憶されていた。
15時、事務所に戻って仕事の続き。
17時ころ、共栄運輸の木村さんが来訪。
18時、「ウコンの力」を2本飲む。
18時半、弁天町「波止場」へ。今夜はNCVの番組収録。

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入舟町町の漁師3人、丸山くん、いるかのアダチさん、なちゅらすの赤石くん、札幌の弟。
ぜんぜん、ちゃんとした会話とかしてなかったような気がする。
取材してないし。ごめんね池田くん。
やっぱり、「1、2回くらいしか来たことがない店」って違和感に無理があったな。
編集の時に、ナレーションをつけられるというので、
そっちでコメントをたくさん入れちまおうと思う。
3時40分、かもめ代行で帰宅。
番組については、また別頁で書くことにする。

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◆写真を見て、うん、これは痩せなくちゃいけない、と思った。顔だけでも。
4月2日(木)
ようやく鼻の穴の炎症がおさまってきた。
10時半、和也さんの事務所。写真データをお届け。
11時、田家町「髪倶楽部」で散髪。
さいきん、剃髪が続いていたが、今回は明日のこともあるので、
バリカン1.1ミリでがまんする。
女が付く漢字の話、夫婦関係について、鼻毛の話など。
昼過ぎに奥尻の満島さんから電話。
15時、満島さんが来訪。星野さんを交えて、打ち合わせ&雑談。
17時に函館駅まで送る。これから札幌出張。
帰り道にセブンイレブンに寄ったら、
レッドブルが値下げされていたので2缶購入。

お隣が購読している「経済ジャーナル」の記事を読んで驚く。
ナルミ(乙部町)が先月31日に不渡り発生。
専務の鳴海さんとは、広告づくりを通じて知り合い
個人としての魅力を感じてインタビュー記事も書いた。
ほんの数度だが飲酒もしたっけ。そう言えば乙部町でも飲んだな。
ここ2年くらいご無沙汰していたが、
メディアや独自媒体での活動はチェックしていたのだが。
函館海藻アート協会の立ち上げ時には資金援助もいただいた。
大きな企業だけに負債も巨額だろうと思う。
いまの僕はなんの力にもなれなくて、かける言葉も思いつかないけれど、
なんとか堪え忍んで欲しいと願うばかり。

翌2時まで仕事。逡巡ばかり。
帰宅。ビール(350ml)1本。就寝。明日は5時起きだ。
4月1日(水)
東京の弟からメールが来てた。
昨日のばあさんの命日の文章を読んだようだ。
備忘のために転載しておく。
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当時の自分は蚊帳の外で、全く実感湧かなかったよ。
家で電話番させられてたっけ。
でんわが来たら「キトクデス」って言えって、
意味もわからずに対応していた。

朝も普通だった。玄関を出るおばあちゃんを
ぼんやりとトイレに向かいながら見送り。
今にして思うとラストトークなんだけど、当然ぼんやりとして印象にない。

実感がわいたのは葬式のとき
(家に「来た」時点でもまだよく分んなかった)
坊さんの物悲しい読経を聞いたら、もの凄く悲しくなった。
というかなんか悔しくなった。
周りの参列者の、社交辞令的な悲しみかたに、
理不尽にも腹立たしく思っていた。
悲しんでいいのはあの家の自分たちだけだろ!
とかそんな感じ。

葬式中ずっと泣いてた気がする。読経に負けないように。
(かあさん曰く、この泣き声のおかげで、
 とてもいい葬式だったと。この前言われた)

記念日的なものを全く覚えない自分で、
もちろん昨日も意識の外だったけど、
この文章をもって自分なりの供養ということで。
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弟は小2だったのかな。
ばあさんの死亡確認が出た直後に父が病室に入ってきた。
たぶん、フェリーが函館港に着いて、すぐに駆けつけたんだろう。
俺は5000円札を渡されて先にタクシーで帰らされた。
運転手を相手に、ずいぶんあっさり死ぬもんですね、と話ていた。
あのころから、タクシーの運転手との会話が好きだったんだな。
家に着くと、弟がぽつんとソファーに座っていた。
俺は兄貴の絶対権力を行使して、仏壇の灯明を点灯せよと命令した。
恐がりな俺は、仏壇に近づくのをためらっていたから。
札幌のおばさんたちに電話して、「さっき、ばあちゃんが他界しました」と伝える。
思えば、末の弟はまだ生まれていなかったんだよな。
母のお腹の中にいて、その年の7月に生まれた。
俺は葬式で泣いたんだっけか。いや、泣いてないな。たぶん。
ただ、母を見ているのは辛かったが。

お昼。星野さんが仕事部屋に飛び込んできて、「函館海岸図があったよ。市内に。」と叫ぶ。
さっそく、箱館高田屋嘉兵衛資料館(末広町)に行ってくる。
あった。あった。何度か来ているのに、しっかり気に留めていなかった。
年代や場所の特定もおこなっている。
星野さんと話していたのと、それほど大きな差異はなかったが。
(この海岸図に関しては、別頁で改めて詳述する。)
この資料館は、高田屋関係資料はもちろんのこと、
幕末から明治・大正期の函館港における産業遺産が多数展示されている。
いままで、積極的にお勧めしてこなかった自分の不明を詫びなければいけない。
函館地元民も観光の皆さんも、ぜひ立ち寄るべき場所だ。
ちなみに、関連の書籍販売も充実している。
小沼健太郎編「明治の新聞に見る函館の有様(一)」を購入した(7500円)。
 本通中学のとき1年生の社会科を小沼先生に教えていただいた。
 先生の郷土史クラブも毎週楽しみだったなぁ。
 フィールドワークの楽しさを知ったのも、そのクラブでだった。

資料館の前にクルマを駐車して、あやうくパトカーに摘発されるところを回避。
新函館ラーメン マメさんで昼食。お客は僕ら二人だけ。
この店の海藻をつかったストレート麺の食感が好きで、
しかもオフシーズンは客がいなくてあずましいので、月1ていど食べている。
あんまり地元の人たちは立ち寄らないようだ。ちょっぴり観光価格だからかな。
って言っても、最近のラーメンは700円オーバーが平気になってるけど。
事務所に戻って机仕事。
夕方、NCVの一森さんから電話。金曜日の収録の件。
「なにか用意しますか?」「いえ、なにも。なりゆきでやりますから」
どんなテンションで収録に望むか決めかねている。
ただ、酔っぱらってまえば、大声でがなって笑ってるだけなんだけどさ。
23時、帰宅。めんどくさいのでコンビニ弁当。
「シャカリキ!」を最後まで読んで就寝。熱い自転車マンガだ。おもしろかった。
3月31日(火)
8時半に事務所。
9時、函館北ふ頭へ。

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本日は北日本海運株式会社・青函フェリー「あさかぜ21」の竣工披露式。
父が太鼓腹を凹ませて完成させた船なので、ある種の感慨を得ながら式典の撮影をした。

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◆父。みんなにスーツをめくられて、腹をさすられてた。

お祝いの花やら酒やらビールやらが並ぶ。しまった。そう言えば、すっかり忘れてたなぁ。
船橋(ブリッジ)で安全祈願祭、その後、車両甲板で披露式典。
料理は五島軒だった。終わったあとに、3口だけ食べる。
12時、ちゃっかり記念品をもらって帰る。
ちなみに、記念品の中身は、「函館育ちふっくりんこ」と「ふっくりんこ純米酒」。

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なかば強引に企画を持ち込み、JA新はこだて田山さんの協力を得て実現させたもの。
  ※記念品は「ハコダテ150」でも紹介されていた。コチラ
ラベルの写真は今年1月に石巻市のドックでおこなわれた進水命名式で撮影してきたもの。
デザイナーの敦賀さんが、ウルトラ怪獣みたいだって言ってた。たしかに。
そう言えば、式典の中で、
青函フェリーを共同運航する共栄運輸株式会社・兵頭社長による乾杯の挨拶で、
函館開港150周年の年に、青函航路に新造船が就航したのは喜ばしいこと」と言及してた。
素晴らしい。ありがたい。そういや、どこかのフェリーと違って、とくに市長などは来なかったな。

16時すぎ、和也さんの事務所。
なぜか寿司5カンをご馳走になる。うまかった。
田家町のみちのく銀行で現金引き出し。
サッポロドラッグストアで、箱ティッシュと牛乳とカップラー。
事務所に戻って、19時くらいから星野さんと海岸町「道頓堀」で飲酒。
漬け物、キムチ、網焼きセット、生ラム、野菜盛り合わせ、芋焼酎、お好み焼きミックス。
おかみさんのオマケで、きんきのあらと黒豆の煮たやつ。
黒豆は優しい味でとくにおいしかった。
星野さんから、アル北の川上さんが結婚・出産だと聞いた。
おめでたいことだ。
23時、河岸を変えてお向かいの「よしの」(万代町)へ。
熱燗を飲んでいたんだけど、
メニューにあった「自家製カルピスサワー」の誘惑に耐えきれず注文。
自家製って、自家製カルピスって、どんなんですか?
と、聞いたらニヤリと笑って、自家製なんです、と言われた。
むがー、ばかな妄想をしてしまう。
味はミルキー。乳酸菌は感じなかったかな。
0時前、代行車を呼ぶ。いつものキング。
精算のとき、500円引きになりますから1700円です、と。
あらびっくり。なんで? と聞くと、
「よしの」で代行車の割引チケットを渡しているとのこと。
ちびっとしか飲んでいないのに、なんだか申し訳なくありがたい。
初会のサービスを得て、裏を返さないのは粋じゃない。
近々再訪しよう。
カップうどんを食べて就寝。

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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