03 考えた・感じた・見つけたの最近のブログ記事

煮しめがあるというので、実家に立ち寄ったら赤飯も渡された。
お彼岸に「ぼたもち(おはぎ)」はわかるが、赤飯も炊くんだっけか。
春が近づくのは「めでたい」ことなのかな。

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これが正調「北海道のお赤飯」。
小豆ではなく甘納豆を使うので食紅で色をつける。
もち米は蒸すのではなく炊いてる。

甘納豆の赤飯は、昭和30年代に札幌の女子短大で生まれたと言われている。
かつて、どこかに書いた文章にも、そのように書いた記憶がある。
しかし、青森県や山梨県でも同じ食文化があるらしいので、
発祥はもっと古いのかもしれない。

子どものころはお米と甘い豆の取り合わせが嫌いだった。
甘納豆をほじくって皿に寄せて、赤いご飯だけを食べていた。

それでも、上京して(いわゆる普通の)赤飯を食べたとき、
甘みが無いので物足りなく感じたのだから、
慣れ親しんだ食文化・食生活の影響は大きいものだ。

ちなみに、ぼたもち(おはぎ)も
あんこを丁寧に箸でこそぎ落として、お米部分だけ食べていたな。
身近な例で考えてみよう。
体重は一日で減ることはないし、短期で急激なダイエットには揺り戻しがある。
少しずつ長く続けていくことが減量の早道だ。
それでも、ときに大失敗をして、もとどおりにリバウンドしてしまうこともある。
そのときは、なぜ失敗したかを考えて、次につなげてリスタートするしかない。
そこで放棄してしまったら、際限なくぶくぶくと太っていくだけ。
そして、結果は最悪、だ。
一喜一憂しても良いと思う。あきらめて止めてしまわなければ。

乙武洋匡さんの発言「選挙に行かない君へ」に賛同する。
http://ototake.com/mail/245/

それぞれが信じる道を歩むべきだと思う。
ただし、この道は間違っていないかと時おり自省する慎重さを忘れてはいけいない。
そして、もし間違いに気がついたときは、
それを隠さず誤魔化さず過ちを認める謙虚さを大切にしよう。
それが歴史を学び経験を重ねた大人の矜持だ。

これは自分自身への叱咤でもある。
たまに糖尿病以外のことも書いてみたりする。
記録のために、「ツイッター」での会話を転載しておこう。

きっかけは些細なことだ。
昼飯の食材を呑気につぶやいたことから始まる。

ツイッター(Twitter)は、ミニブログ・簡易ブログなどと紹介される場合が多いが、
3カ月ほどいじってみた僕の感想は少し異なる。

発言すること自体は「手軽」で「気軽」ではあるが、
ブログを「簡易」にしたものでも、「小さく」したものでもない。
これは、もっと積極的、というか小回りのきくツールだと思う。

興味関心があると判断した人の「つぶやき」が、
次々と自分のページに飛び込んでくる。
その逆、つまり僕に興味関心があると判断した人のページに、
僕の「つぶやき」が飛んでいく。

基本的には、お互いに「つぶやき」を「流している」状態だが、
たまに、その「つぶやき」がより深い興味を抱かせることがある。
そこからがツイッターの本領発揮のような気がする。

あとは下記の実例にて。


【発言者】----------------------------------------------------

  @codaruma : 居酒屋「函館こだるま」 のご店主 http://twitter.com/codaruma

  @monokaki_0138 : 高山 http://twitter.com/monokaki_0138


【やりとり 2010年4月26日15時〜24時】----------------------------------------------------

@monokaki_0138 遅い昼ご飯はおろしたアイヌワサビをご飯に乗せただけ。ツーンとうまい。

@codaruma アイヌワサビ? 沢わさびですか、山ワサビ(レフォール)

@monokaki_0138 たぶんアイヌワサビは通称で、西洋ワサビだと思います。妻の実家からのいただきもの。畑で育てているそう で。結婚して8年くらいたちますが、義母の食文化(亀尾出身)は興味深い。

@codaruma 亀尾地区は旧幕府のお抱え農業試験場、多分北 海道では一番古い歴史ある場所だと思います、庵原函斎の歴史的 行いは、あまり語られませんが、蕎麦、米、その他穀物を育てデーターを残したのは、もっと取り上げられても良いと感じております、亀尾に縁がない私でも、思う

@codaruma 亀尾の自然環境は、大きな川が流れ、雪が少なく、それなりに平地があり(あまし広くは無いけど)日当たりもよく函館市の中では、先人はその環境を見極めてたと思われる、昆布(ひろめかり)鮭、鮎、鱒、その他水産資源、そして鉄なども作られたとても重要な場所だったのでしょう、その他情報も多し

@monokaki_0138 たぶん農住の地としては、この地域で抜群に環 境の良い土地だったのでしょう。漁業と交易を中心とする港町商 都としては箱館(ウスケシ)が発展したわけですが、その周囲に亀尾と亀田という農村(食料供給地)があったことは重要なファクターです。

@codaruma その通りですね、亀尾の歴史を研究された方の 手記をみると、とてもおもしろくて、一気に読んだ事あります、 燃料である炭も大量に作られてたたし、調べると、いかに重要な場所であったかが判ります。

@monokaki_0138 その「手記」を読んでみたいです。妻の母方の実家は、まさに亀尾で林業を営んでおりまして、山や畑や馬(こ れは湯川村のともつながる。馬具とか鍛冶とか)の話題を豊富に聞くことができて、おもしろいテーマだと感じていたところです。

@codaruma その時にスキャンして保存してました、まずは 見にくいけどお試しをDLしても良いのかも。

@monokaki_0138 さっそくDLいたしました。おもしろい。まだ 画面でざっくり読んだだけですが、斉藤三平(奥尻島で三平汁を つくったという伝承あり。島には硫黄鉱山がある)が出てきたり、亀尾が中心地であったのではという発言(これは出身者との会話で今でも滲む考え)とか。

@monokaki_0138 昨年から今年にかけて、亀尾生まれの親戚の古 老が相次いで亡くなったのが残念。追加の聞き取りができたはずだなぁ。それが、僕の役割だっていうのに。

@monokaki_0138 それにしても、俺が今さら言うなって感じですが、デジタルアーカイヴってのは素晴らしいですね。研究者同士で資料を簡便に共有しあえるなんて、ひとむかし前は「無理」って話でしたから。貸し借りは資料散逸の第一歩みたいなところがあったので。感謝です。

@codaruma ありがとうございます、亀尾は旧幕府直轄だった為に、差別されてたような気がします、函館の歴史の影に隠れた重要な事があるような気がします。

@monokaki_0138 なるほど。確かに、その後の「官営」は七飯に移っていきますもんね。亀尾地域の「気質」は特異な雰囲気があ ります。あー、そこのところ、解き明かせないまでも、歴史背景と事実にもっと迫ってみたいですね。


【発言の解説】----------------------------------------------------

「亀尾地区」とは函館市東部にある集落。亀尾町・庵原町・米原町・豊原町など。湯川町と旧戸井町をつなぐ地域で、中央を流れる汐泊川流域の平野には田畑が広がり、後背地の深い山と津軽海峡の海を持つ。大量の古銭が出土した中世遺跡・志苔館跡が近接する。

会話に出てくる手記は「亀尾物語」という文献。データ共有サイトを通じて、スキャニングされたデータを提供してもらう。内容は亀尾地区の住民への聞き取り、函館関連の文献(市史・町史・郷土本)などから亀尾と関係する部分の抜粋、亀尾地区に関する歴史的考察など。書誌は確かめていない。

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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