奥尻島、あのとき。(北海道南西沖地震 15周年鎮魂行事)

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◆あのときから15年たった奥尻島。高い防波堤を乗り越えると、美しい島の風景に出会える。

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お知らせ
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1993.7.12 あの時を忘れない
北海道南西沖地震15周年鎮魂行事
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 1993(平成5)年7月12日に発生した北海道南西沖地震から15周年を迎え、全国の皆様の暖かいご支援のもと復興を遂げた奥尻島から、災害の悲惨さを語り継ぐとともに、奥尻島の実情を全国に発信することを目的とし、節目の年にふさわしい鎮魂行事を全町民に参加を呼びかけて実施します。

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◆最大の被害を受けた青苗岬にある慰霊碑「時空翔」

日時 2008(平成20)年7月12日(土) 午後3時から

場所 特洋記念緑地公園(慰霊碑時空翔・奥尻島津波館)

内容(予定)
 15:00 震災15周年鎮魂のとき 鎮魂キャンドル1500本準備
 18:30 ・鎮魂のメッセージ
     ・慰霊碑献花
     ・鎮魂詩「覚えていて下さい」朗読(麻生直子作)
     ・鎮魂のキャンドル点灯
     ・鎮魂コンサート(奥尻島津波館内)
       演奏 吉田千紗
       ※ブーニン氏が震災後に寄贈したピアノによる
     ・鎮魂歌合唱「岬の誓い」
       合唱 奥尻島の子どもたち
       ※麻生直子作詞 星吉昭(姫神)作曲
 20:30 終了

【共催団体】奥尻島地域再生プロジェクト推進協議会 奥尻町
【後援団体・協力団体】奥尻町教育委員会 時空翔を灯す会 函館音楽協会 河合楽器製作所 函館ピアノセンター ヤマハミュージック北海道函館店 他

【問い合わせ】奥尻町商工観光係 01397・2・2351


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◆ピアニスト・ブーニンが寄贈したピアノ(奥尻町立宮津小学校)。震災直後、津波によって重いピアノが上下逆さになってしまった映像が流れた。それを見たブーニンが、震災の翌年に稲穂小学校(現在廃校)へピアノを贈った。

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◆直筆のサインが残る。

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◆震災の記録と記憶。


 翌日だった。
 階段教室でおこなわれる大ざっぱな講義にめずらしく顔を出すと、「たいへんみたいだな」と声をかけられた。なにが、と聞き返すと、けして自分の訛りを認めなかった茨城出身の友人が「おまえの地元で地震があって、津波や火災でかなりの被害だっぺよ」と教えてくれた。あとで聞いたら、この言葉を聞いた僕の顔は、見る間に蒼白になったらしい。
 当時、それもまた東京らしさのひとつと感じていたイラン人から購入したテレホンカードを公衆電話に差し込み、あわてて0138・・・と実家へ電話をした。「すごい地震だったんだから」と、電話口の母親は一部始終を興奮気味に教えてくれた。なかでも奥尻島の被害は大きく、島で暮らしていた僕の伯父や従兄弟ともまだ連絡がついていないとのことだった。「あんた知らなかったのかい?」
 僕はこの年、ようやく五流で底辺な大学に潜り込むことができた。入学初日から学生会館の半地下の住人となり、学生新聞をつくり飲酒におぼれ怒鳴りあう毎日を過ごしていた。昨夜は、寮の四人部屋には帰っていない。いつものことだ。
 僕は島で起こった震災を翌日知った。
 地震と津波でめちゃくちゃになる前の奥尻島を僕は知らない。初めて奥尻島を訪れたのは、それから7年半もたってからだ。とある雑誌からの取材依頼がなければ、島との出会いはまだ先だったかも知れない。
 その後、町の観光パンフの取材・執筆を担当することになり、そこから僕の島通いが始まった。観光、移住、自然、人物、歴史、文化、民俗、街づくり、人づくり、教育など。ふり返ってみると、それなりに幅広く取材をして奥尻島のことを書き綴ってきたようだ。そのまますべて、僕が今かかげている執筆のテーマでもある。仕事半分、飲酒半分。島の人たちとの出会いや交流も増えて今にいたる。

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 2008年7月12日。奥尻島は震災から15年目を迎える。
 僕はあのとき、地震の報に驚きはしたが、たとえば学生特有のありあまる時間を島に注ぐ、ということはしなかった。あの年の夏休み、函館の実家に帰省したはずだが島へ渡ることはなかった。僕はずっと、そのことになんとも言えない気まずさを感じてきた。
 ほんの「きっかけ」の部分だけだが、今回の鎮魂行事に関わることができて幸せに思っている。こんなわずかなことを、15年たってようやくできた。これからだ。僕は奥尻島を愛している。

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◆今年、島で始まる「フットパス」。コース最大の見せ場である寺屋敷海岸。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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