糖尿病入院日記:7月15日(病院に思うこと)

7月15日(水)

かくなる上は、糖尿病(慢性高血糖症)の入院治療十一日目。
函館中央病院でお世話になっています。あと4日で退院だ。

6時起床。昨夜は、ちょっと遅めの就寝だった。
雨降り。薄暗い。風があるので窓を開けられない。
今日はお散歩に出かけられないなぁ。
原稿書きながらの貧乏ゆすりが運動になるのかしら。

体重測定101.4kg。やはり朝の便通なし。
入院十日目でようやく3.2kgの減量。たった3.1%の減少率。
ようやく1989年当時の消費税導入当時の数値に。
スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・ハンガリーでは消費税率25%だという。
俺の体重減少率はそれでも足りない。
ちなみに、5000万円を超えて1億円以下の相続がある場合は税率30%。
俺には縁のない話ではあるが。

7時、採血。
あっ、この看護師さんは。
「たぶん大丈夫だと思うんですけど...」。
細い針で痛くもなく失敗もなかった。不安な会話を笑える精神を持っていて良かった。
血圧測定156の101。
血を抜いたので体重減ったかと思い体重計に乗る。
ま、7ccで減るわけなし。

朝食。7時半。
ご飯、味噌汁(とろろ昆布)、白菜おひたし(だし醤油)、きゅうり酢の物、納豆・きざみネギ、牛乳。

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◆入院食で初めての納豆。納豆ほどうまいものはない。大粒が好き。

昨日、着手しかけていた原稿の続き。
お隣の爺さんが退院するようだ。
「もっと自分でできるようにならなくちゃだめよ」と看護師さんに励まされていた。

9時20分、血圧測定131の83。トレビアン!

「ちょっと体重が増えましたね。」
「えっ、そんなことはないですが。確かに昨日は便秘で600g増えましたけど、今日は一昨日より200g、つまり800gの減量なんですけど。」と色めき立つ。
どうやら、寝ぼけて記録用紙に書き間違えたようだ。
(あとでチェックしたら書き間違えてなかったけど。)
「みんなで、この食事で増えるんだとしたら、外出したときに...って話してたんだよ。」
なんてことだ。ショック。やっぱ基本的に信用されていないんだな。
ま、信用しにくい体型ではあるが。

9時半、本日2回目の採血。担当看護師のSさん。
ほとんど痛くない。早いし太めの針だけど。
「体重、減ってますので。」と言うと、さっき聞きましたと笑われる。
採血の後で体重計に乗ってみる。102.8kg。
メシは1.4kgもあるんだ。水も飲んでるとは言え。
宿便なんぞを抱えている皆さまは、出しちゃえば3kgくらい減るんじゃなかろうか。
体重を減らすの楽しくなってきたなぁ。でも、やりすぎると早々に落車するんだよな。
よく言われるのは1カ月で2kg。俺は3kgくらいを目標にしても良いかもね。

10時前、1階の文書受付窓口に。
生命保険の診断書を書いてもらうための手続き。
「退院した時点から診断書を書きますので、お渡しまで1週間から2週間ほどいただきます。」
うぇっ。そんなに時間かかるんだ。入院前に書類をそろえた意味があんまりないね。
保険会社は速達で送ってきてくれたのに。2週間後か。
「診断書をお渡しするときにお支払いとなります。」
入院費ではなく、診断書代ってことだな。たぶん。いくらなんだろう。
こちらも事務手続きがあるから、支払いを2週間くらい待ってもらおうか。
あっ、私物のクリアファイルを回収されちゃった。

病院って、事前に費用を言ってくれないよね。
CTはおいくら万円、レントゲンはいくら、この注射は何百円とか。
ま、いちいち言っていたら、面倒とは思うが。
ただ、高額になる検査だけでも、こちらから聞かなくても教えてほしいものだ。
例えば、内科の外来初診日の請求は17,180円(保険点数5,725点)だった。
国保30%自己負担の金額である。
病院慣れしていないと、なんぼほどお金がかかるのかわからないものだ。
幸い函館中央病院は、みちのく銀行・北洋銀行・ゆうちょ銀行のATMがある。
いったん自動精算機で請求額を確かめた上でキャンセルボタンを押して、
ATMでお金を引き出してから、再度、自動精算機で支払いを済ませた。
入院費も診察室では教えてもらえなかった。
「おいくら万円でしょうか?」と、入院の説明をしてくれた外来の看護師さんに聞いて、
ようやく内科外来窓口から、あとでお知らせしますと言われた。
(このときは、たまたま担当者が不在ということで、あとでfax.してもらった。)

医療関係者にしてみれば、ひじょうに細かくて小さいことかも知れないが、
いまのお寒い時代、僕もふくめて生活の余裕などない者にとって、
病気も治療も気になるが、それと同じくらいの切実さをもって医療費を気にしているのだ。
ただ、医療費を聞いて、治療や通院をあきらめるのも切ないことだが。
予測できない医療費を心配して、病院へ行くことをためらっている人も多いだろう。

最近、ある病院で働いている人(医療事務)にインタビューしたとき、
「患者さんが医療費への不安を持っているのは確かですね。最近は、ジェネリックでお願いします、と言ってくる患者さんが確実に増えていますから。」
と話してくれた。
昨日のブログ記事で紹介した文庫本『糖尿病は専門医にまかせなさい』の中で、
「ひと言でいうと『安い薬』だ。(中略)私は一切ジェネリック薬は使わない。糖尿病治療は薬が勝負だ。(中略)薬だけはベストのものを使い続けたい。初めに開発した製薬メーカーの薬のほうに私は信頼感を持っている。」(154-155pと)と書かれていた。
いかにも専門家の言葉だなと思った。
まぁ、東京銀座に医院を開業している医師だから言えることでもある。

もうひとつ気になったのは、この医師の言葉から類推すると、
ジェネリック薬ってのは、効果が低かったり不安定だったり、
薬としての品質が落ちるのだろうか? それとも、そんな気がするってことか。
最新の薬ではないことは確かであるが。
こうも書いてあった。「(ジェネリック薬の)公定価格はオリジナルよりも三〜五割安い(中略)薬局などへの卸価格は、公定価格の半分以下のことが多く、薬局などでもジェネリック薬のほうが利益が出る」。
開発も営業も「後発」であれば、そういった販売手法をとることも有るのかも知れない。

10時半、昨日のトラブルの件で川嶋先生から電話。
けっこう怒っている。先生は研究者であると同時に
役所の人間(北海道水産試験場の場長を歴任)だったわりに役人に厳しい。
「驚きましたね。机の前にいるだけの典型的な役人なんだな。
 なんにも勉強していない。いまさら、海藻おしばを禁止などと。
 いちど、渡島支庁へ話し合いに行かなくちゃならんと思いましたよ。」
そうですね。ただ、僕も道新の校閲責任者を経由して聞いた話なので、
渡島支庁の水産課とは直接やりとりしていませんから。
抗議のニュアンスをふくんだ文書は提出したので、少し待ちましょうか。

11時前、主治医のWs先生の回診。今日は病気の説明。
これは2週間の糖尿病入院(血糖コントロール)における
クリティカルパス(治療の工程表、治療計画)の手順のひとつ。
病室で患者と対面しながら、種類を仲立ちに病状を解説してくれる。
いろいろ会話をしていたが、ここでは煩雑になるので箇条書きで記録しておく。

【病状】
◆2型糖尿病です。
◆食事療法で血糖コントロールが改善しています。
 (運動療法は腎臓の診断が付いていないので開始せず。)
◆腎臓機能に問題はないが、尿蛋白の原因に診断が出ていません。仮に腎臓の合併症が進行すると、浮腫や肺水腫が生じる危険があります。
◆眼の合併症は生じていません。
◆自覚症状はありませんが、腱反射の低下などから末梢神経障害の存在が示唆されます。
◆水虫に注意が必要です。治療中。

【治療の優先順位】
(1)良好な血糖コントロールの維持
(1)良好な血圧コントロールの維持 ※同率1位
(3)血中脂質の改善(悪玉コレステロールを下げる)

【現在必要な治療】
◆糖尿病の一般的な食事療法
◆降圧剤
◆塩分制限
◆経口血糖降下剤
◆高脂血症薬
◆禁酒  という気持ちで酒量を減らす。(笑)
◆特殊な食事療法(蛋白制限) ※腎臓の診断が付いてから。

「今朝の血液検査の数値ですが、やはりかなり良くなっていました。糖尿病の薬を減らし、運動療法はせずに食事療法だけで血糖値が下がっているということは、いままでの食事はなんだったのかってことです。」
入院前の散々な食生活は包み隠さずに(じゃっかん増量して)伝えたので、
どうやら症例として興味深い(?)と判断されたようだ。
医師・看護師・管理栄養士などが集まる糖尿病の検討会みたいなもので、
あまたいる糖尿病患者の中から検査対象になったという。
「みごとに当選です」。嬉しくないわ。
いや、できれば、その場に参加して、どんな話をしているか聞きたいところ。

11時15分、すっかり忘れてた。
看護師さんが病室まで来て採血。手の甲。ちょっぴり痛い。

11時20分、函館大妻高校の外山茂樹校長先生が病室に。
目標体重は69kgなんですと言うと、それは無理じゃないかな、と言われた。
まぁ、同感です。90kgだな、とも言われるが、もうちっと減らそうかと。

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◆こちらは大妻高校福祉科オリジナルグッズだ。

学校にあった古いピアノの話。
食物健康科棟のカフェスペースに飾ってあったのを、
横浜にある工房へ運んで修理してもらっているとのこと。
このピアノ、もしかすると明治時代のものかも知れないらしい。
大正末期、初代校長(外山ハツ)が横浜で買い求め、函館へ運んだらしい。
横浜はペリーの来港、そして開港をきっかけに、楽器産業が発達した土地だという。
開港つながりの函館で、その横浜のピアノが残されていた。
もしかすると、あちらの博物館で所蔵されているピアノよりも、
製作年代が古い可能性もあるらしい。ロマンを感じる話だ。

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◆とあるライブ音源CD。さっそくiPODに入れておく。

「まだまだ、がんばってもらわないといけないから。しっかり治すように。」
ありがとうございます。学校の百周年記念誌までは執筆したいと思っています。

11時45分、校長先生を見送ってから昼食。

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◆カレー! やっぱり嬉しい。まるでガキだ。

カレーを楽しみながら、たまたま耳に入ったマイケル ジャクソンの「The Way You Make Me Feel」を聞いて、イントロが「函館イカ踊り」にそっくりで驚いた。ちなみに、マイケルは1987年のリリース。イカは1981年だ。
きっと、もっと前に「いただき」した曲があるんだろうけど。

13時半、採血。
「痛いときと痛くないときがありますね?」
「痛みの神経に触れたときは痛いんですよ」とSさん。
でも、Sさんの採血は、あんまり痛くないんだよな。
神経をよけて刺す技術を体得してるんだろうか。
思うに、Sさんの場合、手順がきっちりしてるんだよね。
「手を握ってください。」
「少しチクっとしますよ。」(この声かけのあと針刺しまでに躊躇がない)
「手の先は痺れませんか。」
「はい終わりました。抜くとき少し痛いですよ。」
「2〜3分、ここをしっかり押さえておいてください。」(この最後の言葉で、注射跡の押さえつけを忘れない。結果、青くなって数日間跡が残るということがなくなる。)
あとは、不安げな発言や態度をしない。これも重要だ。
お任せするしかない患者の立場ではあるものの、そこは生身の人間である。
痛みは感じるし、なるべく痛くない方が嬉しいものだ。

14時、糖尿病教室。今日は食事療法の話。
出席者が順番に、入院前の食事と病院での食事の量について聞かれる。
「いやあ、俺はまともに食べてねんだ。酒はいっぱい飲んで、さらっと食うだけよ」
これ、俺じゃないよ。思わず声を出して笑う。
通っていると、妙な連帯感が生まれておもしろい。

15時半くらいに原稿アップ。もうひとつ書いておきたい。

16時、星野さんが来る。
病室でうしろから写真を撮られていることに気が付かなかった。
1階のドトールでおしゃべり。紅茶ごちそうさま。
アルハンブラ宮殿、レコンキスタ、観光政策、イザベラ バード、中央ふ頭、室蘭、谷地頭、共同通船、遊覧船の話など。
途中から副院長も来て、病院経営についての話など。
まぁ、あとは退院してから書くことにしよう、かな。
話こんでいるうちに17時を過ぎていたので、ちょっと焦って病棟へ。

採血。
晩ご飯前に入浴。ひとりで入浴するには広い浴槽でゆったり。
じゃっかんめまい。頭痛。ありえないことだが、寝不足かもね。

洗濯。なぜか、あと200円残っていたカードがエラーに。
乾燥機って便利だな。

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◆晩餐。水戸黄門を見ながら食べてみた。

17時半、夕食。
ご飯、焼き魚(塩サバ)、すまし汁、白菜浅漬け、ささぎのそぼろ煮。
飯を食べながら向かいのおじさんと病気話。
どうやら、医者から長くかかると言われたらしい。
午後から家族も来てたし。
技術畑を歩んできた人らしく、仕事の話など聞くとおもしろい。

夕食を食べ終えて、本日最後の原稿仕事。
30分ほどで終了。ほぼリライト作業だったので、かるく。
19時半、採血。右腕。まだ、もう1回ある。
食後、胃もたれ。食べ過ぎた感じ。二口くらい残しておけば良かった。

ハコダテ150のMLで、あんきもさんから衝撃のメール。
あぁ、見送ってばかりだなぁ。
函館で生きていこうと覚悟したときには、
こんなにちょくちょく悲しく寂しい気持ちになるとは想像してなかった。

最後の採血。無事終了。
看護師さんの「おつかれさまでした。」の言葉が嬉しい。

ブログ記事のまとめ作業。
書ききれそうもないので、いくつかのネタは明日以降にまわそうと思う。
今夜は新しいシーツで就寝だ。
でも、なぜかパジャマの交換がないなぁ。俺だけ。

外は雨だ。梁川町のネオンが滲んでいた。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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