インターフェロン治療日記:2011年3月7日(のんきな入院初日/000日)

C型慢性肝炎(インターフェロン治療)による入院1日目。

土日をかけて部屋の掃除をしつつ、入院のための荷づくり。
けっきょく、いくつかの仕事は病室へ持ち込むことになった。
大荷物だ。こんなの持ったら、背中が折れるかもしれない。

7時半、妻からの電話で起床。
3日の卒業式に、生徒たちからいただいた花束は、
吊り下げてドライフラワーに。
緒川ラッシー(亀)は、まだ半分冬眠しているので、
妻と相談して部屋で留守番させることにした。
今朝も、がたがたと騒がしいが、エサは食べない。

10時すこし前に、函館中央病院の入院受付へ。
病棟から迎えに来たスタッフが、
登山家のようなリュックと両手一杯の荷物を見て、
「お持ちしましょうか」と驚いている。
ご親切はありがたいが、
(おそらく)年上の女性に重い荷物を持たせるわけにはいかない。
書籍やパソコンやらで、かなり重いのだ。

病室は6人部屋。真ん中のベッドに案内される。
前回(2009年7月の糖尿病教育入院)も6人部屋だったが、
窓際を占領できたので、今回はすこし窮屈に感じる。
そう言えば、案内表示板に「無菌病棟」と書いてあった。
なんか違うのかな。

大量の荷物を、ベッドの下にある物入れや
床頭台(棚と引出とテレビと冷蔵庫とロッカーが一体化したもの)にしまう。
例によって、ものかき工房支局のできあがりである。
前回は少しずつ事務所から運んできたが、
そのときの経験がきっちり役立つ。まぁ、役立っても仕方ない部類だが。

110307-76019.jpg
◆入院前に集めておいた関連書籍。近年出版されたもので、一般で入手可能なものはだいたい揃っているはず(患者の書いた闘病記は除く)。一冊ずつ日記で紹介していくつもりだ。

看護師さんが来て問診。
「ちょっとだけ、いろいろお聞きします。」と言われた。
どっちなんだよ。
体重97.6kg(増えたナー)、身長178.5cm(なぜか1cmくらい伸びてる)。
今後、公称身長を179cmにしよう。
血圧は140の90。

廊下側の隣のベッドが空いていたので、
看護師さんに、そっちには移動できないんですかね、と聞いてみると、
午後から入院予定のお爺さんがいるとのこと。
「高山さんは若いから真ん中に」。
なんとなく納得。病気の時は従順なのだ。
でも、窓側が空いたら、移動できるように図ってもらえるとのこと。
ありがたい。やっぱり、外の風景は気晴らしになるんだよね。

看護師さんには「面会謝絶」もお願いした。
明日からはインターフェロンの投与で、
とりあえず確実な副作用として高熱に悩まされることになる。
糖尿病での入院時は、続々と来るお見舞い客が適度なヒマつぶしになったが、
今回はベッドに寝ころんでいる可能性が高いので、
あんまりそういう姿を晒したくない。というわけで、面会謝絶。
正面受付でぼくの病室を聞いても「面会謝絶です」と言われるはずだ。
退院までに、自分で試してみようと思う。

前回は病衣(病院から借りる寝間着)を着ることに抵抗したが、
このたびはすんなり着用。病室が暑いもんで。
それでも、検査のために病棟から外来スペースを
通り抜けていくのには抵抗があるので、ジーンズとTシャツに着替える。
レントゲン室から戻ってきたら昼めしどきに。

110307-76017.jpg
◆12時32分/昼食:ご飯(180g)、鶏肉のパン粉焼き、ハムとアスパラとビーフンのなんか、サラダ(キャベツとコーン)、オレンジ(半分)。636kcal、タンパク質24.2g、塩分2.0g

午後になって、同室のご近所さんたちに家族やお見舞い客が来る。
聞くとはなしに、病気話や世間話を聴きながら、とりあえず仕事をする。
胃ガンと胆石について、すこし詳しくなる。

同室者と一緒に心電図を計測に行く。
「ぼくは肉厚だからですかね。病室が暑くて。」
と話しかけたら、「ま、若いからだろ」と言われた。
それをきっかえに、入院患者的ルールとして、
きっちり病気話を聞かせていただく。
20年近く2型糖尿病でインシュリンを投与しているらしい。
今回は別の病気での手術のために入院したとのこと。
「早めに風呂に入ってしまいなよ」と、病室先輩からのアドバイス。

家から持ち込めなかったものを、
病院1階にあるローソンで購入。箱ティッシュとゴミ箱と烏龍茶。
つくづく便利な病院である。
銀行ATM(みちのく銀・北洋銀)はあるし、
ドトールコーヒーはあるし、
ローソンでは焼きたてパンまで購入できる。
なんなら、すっと丸井さんまで出かけて、
帰りがけに一杯やることも不可能ではない。しないけど。

16時前、主治医が顔を出す。
病衣を来ていなかったので「ふつうの格好してますね」と言われた。
明日からのインターフェロンとリバビリンによる治療の説明。
何度も聞いたし、書籍でもたっぷり予習済みではあるが。
「副作用は様々ですが、多くの場合は熱が上がります。
 これは薬で下げるしかありませんので。
 どれくらい続くかは個人差です。」
主治医とは、2009年6月からのお付き合いだ。
このぼくの糖尿病(ヘモグロビンA1c 12.8%)を、
ここまで回復(ヘモグロビンA1c 5.5%)させた名医である。
今月末で退職というのが、つくづく残念だ。
C型肝炎の治療についても、
主治医のもとでなら大丈夫だろうと判断した部分もあった。
患者への情報提供を面倒がらず、
ぼくが職業的クセでしつこく質問しても、きっちり回答を提示してくれた。
ざくっと叱るし、ほろっと褒めるし、ツンデレっぽいところも好印象だった。
次の主治医とも、同じような関係を築くことができれば幸せだ。

まやまやしているうちに晩ご飯。

110307-76018.jpg
◆18時05分/夕食:ご飯(180gより多いか?)、味噌汁(たまねぎ)、焼き魚(ホッケ)、煮物(絹ごし豆腐)、からし菜の和え物、キウイ。569kcal、たんぱく質21.3g、塩分3.1g。

田んぼ記者である俺の発言としてはぎりぎりだが、
一日でこんなにご飯(お米)を食べるのは久しぶり。
ここしばらくは、おかずばっかり食べてしまう傾向にあったので。
もしくはラーメンばかり。たぶん、いや絶対に塩分過多だったはず。
これで一日23単位(1840kcal)なんだよな。
少なくは感じない。以前の入院時よりも、料理がおいしくなった気がする。
気のせいかも知れないけど。

ナースステーション前の壁に、
摂取カロリーや成分が記載された献立表(1週間分)が張り出されていた。
これは大進歩だ。たしか、2年前にはなかったはず。
昨年、函館五稜郭病院に検査入院した際、
食事トレーに、メニューと栄養成分が書かれた札が添えられていて、
これは素晴らしいと思っていたからだ。
食事も重要な治療のひとつであるから、
退院後の参考になるこのような取り組み(情報提供)は大切である。
ついでに、病院のサイトなんかで、公開・蓄積していけば良いのに。

つつがない夕食後、「デザインルーム・オバタ」の和也さんから電話。
正面1階のロビーで待ち合わせて、
進行中の仕事(日本海フットパス)の打ち合わせ。
明日から数日は、こういうわけにはいかないだろう。
道新のみなさんが、退院打ち上げをご用意しているということなので、
がぜん楽しみになった。

病室に戻り、ブログに掲載する文章を書く。
思いのほか長文になってしまった。
この記事をもって、いちおう病気について公開となる。
治療の開始宣言でもある。

引き続き、入院初日の日記を書く。
書き始めたところで消灯となったが、じわっとこっそり書き続ける。
が、23時ころあきらめて就寝。

あっ、ツイッターを通じて、いくつか励ましをいただきました。
ありがとうございます。それなり真面目に治療していきます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.monokaki-0138.jp/hakodate/mt-tb.cgi/270

コメント(4)

 あらあら、糖尿病は落ち着いているのに肝炎とは・・・

 私も血糖値は努力がまだまだ必要なんですが・・・

 感染とは違うのですね?

 人生にも一時停止は必要です。

 新たな視点からの記事期待!

C型肝炎ウィルスは血液を通じて感染するので、
ぼくの場合も、いつかどこかで「感染していた」ことになります。
そして、厳密に言えば、いつか誰かに「感染させる」可能性もあります。
日常生活では、その可能性はゼロに近いですが。

C型肝炎がどのような病気なのか、
これから少しずつ書いていきますので、
読んでいただければ幸いです。

今年のボジョレーパーティー座席確保しておきます。

はなっから床でいいよ。

コメントする

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


ツイッター

最近のコメント

アーカイブ