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『函館物語 ー 昭和の函館から ー 』を読んだ。

  写真・文:金丸大作
  序 文:谷村志穂
  発行日:平成21年7月1日
  発 行:五稜出版社
  印 刷:三和印刷
  定 価:2900円(税込)

記録写真家で郷土史家の金丸大作さんの写真集。
帯には「函館開港150周年記念連携事業」と記載されている。

約160ページで、そのうちの6割がモノクロ写真だ。
ぱらぱらとめくり読む。前半から中ほどにかけてのモノクロ写真は、僕が生まれる前の函館。
高度成長期を迎える前の函館の「懐かしい」風景がそこにある。
街角で遊ぶ子どもたち、北洋漁業の船団、イカ襖のある風景、砂山、寒川、かつての姿。
過去に見たことがある写真もあるが、どれも「暮らし」を伝える素晴らしいカットが厳選されている。

ところが、だ。

後半のカラーページをめくっていて、どうも違和感を覚えた。
なんだろう。なんだろうか。
幾度か見直して気がついた。これ、キャプション(写真説明)にある年代がデタラメなのである。
ざっと見たところで、15カット以上にあきらかな間違いがあると断言できる。

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◆写真説明の内容に疑念を抱いた箇所に付せんを挟んでみた。

人びとの服装、街の風景(道路や看板)、自動車などから、
高度成長期以降(昭和40年代末〜昭和末期)に撮影されたと確定できる写真が、
昭和30年代の写真として紹介されている。

例えば・・・

金森倉庫の前に「函館57」ナンバーを付けた自動車が写っているカット(132p 55)。
キャプションは昭和38年9月。そんなわけない。
かつてのナンバープレートは「函」ひと文字表示で、
「函館」表記となったのは昭和63(1988)年以降である。

函館にあった映画館「巴座」の写真(136p 63)。昭和39年10月との説明。
正面に掲げられた上映中の映画を伝える看板には「アラジン」、そして伴映に「奇跡の旅」とある。
前者はディズニーのアニメ映画、
後者はマイケル.J.フォックスなどが声優として出演。
これらは平成5(1993)年に劇場公開(同時上映)された映画である。

お次はもっとお粗末。

昭和57年2月、八幡坂から見た冬の港と説明された写真(149p 84)。
坂上から函館港を見おろす定番のカット。その正面には青函連絡船「摩周丸」の姿。
夜景のカットのため摩周丸はライトアップされている。
ちょっと、待てよ。青函連絡船が廃止されたのは昭和63(1988)年である。
摩周丸は昭和63年3月13日(廃止の日)まで運航している。

そして、極めつけ。

函館山山頂から見おろした清々しい街の風景(145p 78)。
撮影日は昭和64年6月。
なんてことだろう!
昭和は昭和64年1月7日で終わっているのである。


ちょっと信じがたい。あまりにひどい。
この本の編集過程で、いったい何がおこったんだろうか。
せっかくの良書が台無しである。
これほど間違いが多いと、書籍全体が信用できなくなる。
2900円。お金をいただく仕事になっていない。
いや、仮に趣味の出版だったとしても、このような内容では出版の意義がない。
この書籍の間違いが正されず、もしこのまま流通し続けるなら、
意義どころか迷惑な代物と言わざる得ない。

近日、著者に直接お聞きして真相を確かめるつもりであるが、
もしかしたら、この書籍の後半部分は著者の手によるものではないかも知れない。
改めて言うが、著者がこのような間違いを犯すとは信じがたい。


けっきょくそれかよって言われちゃいそうだけど、
金返せって話でしょ。これじゃあ。
もちろん、僕はしっかり蔵書しますけどね。報道によれば発行部数は1000部。
8月3日(月)

7時半起床。
体重測定97.3kg。久しぶりに減った。
木曜日の診察までに、あと1kgくらい痩せられるだろうか。
6月15日の初診日から8.3kgの減量。
今後はだんだんと痩せにくくなるだろうから、
今年の年末までに90kgを切るのを目標にしようと思う。
その辺まで減らすと、そろそろ俺に体重が追いつかれる人も出てくるだろう。

入院前、ジーンズのウエストは110cm(44)だった。
退院直前に買ったジーンズは105cm(42)。
ためしに、タンスの奥にしまってあったジーンズを引っ張り出してみる。
ウエスト96cm(38)。ちょうどぴったり。
さらに、過去の地層から掘り出したジーンズは91cm(36)で、これはちょっときつかった。
もっとも最下層から発掘されたものは81cm(32)である。
このときの体重は78kgくらい。
当時の彼女(つまり現在の妻)に痩せろと言われて奮発したころだ。
あれから約10年。当時の服は1着も捨てていない。
ふたたび日の目を見ることができるのだろうか。

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◆8時半の朝食。

バナナ、食パン2枚、味噌汁(なめこ)、キャベツ酢炒め、目玉焼き(しょうゆ派)、自家製ピクルス。
あー、久しぶりに納豆が食べたいなぁ。

10時、事務所。
支払いなどの計算。ため息。
11時半、東川町「函館市女性センター」へ。
8日にある「海藻おしば」講座の下見。ちょっと教室が狭いかもしれない。
すでに定員20組(46人)はいっぱいでキャンセル待ちの状態。
もろもろ確認して、あとは当日ということに。
センター内にある談話室のカフェ「喫茶 まったり屋」で昼食。

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◆あわせて950円。パンダトースト(上)にはバニラアイスが付いてくる。

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◆トーストサンドは具だくさんのしっかり味。うまい。
◆メニューは多くないが、お安くて美味しくておすすめ。

14時半、デザイナーの敦賀さんの事務所。
函館酒場寄港の話。豚タンのスモークとサラミをいただく。
そういや、カミさんのお土産(サンミート木村のホルモン)を持って行くの忘れてた。
FMいるか「いるかプレス」の夏号を見せてもらう。
いちおう表紙の記事だけ書いているんだけど。
はっきり言って、ちゃんと配布しているかどうかあやしいな。
配置先であるはずの魚長でもハセストでもセイコマでも、ぜんぜん見つからない。
いまだに前号が置いてある店もある。
情報媒体として、広告媒体として、そういうのはダメだ。
新聞の押紙より悪いわ。

15時、イラストレーターのかわむらさんのところ。
「そう言えば、入院の件はどうなったんですか?」
「あっ、してましたよ。2週間ほど。」
「マジすか?」
「もう毎日忙しくブログを書いてました。」
「ひゃー、ぜんぜん知りませんでしたよ。そう言えば、ちょっと痩せましたよね。」
「くくくく、ありがとう。8%ほど減量したんですよ。」
「どんな病気で入院したんですか?」
「糖尿病ですね。食事療法と投薬が中心なんだけど。」
「よく入院できましたね。忙しいのに。」
「いやー、ちょうどうまいぐあいに仕事の狭間ができたし。それに、けっこうマジでヤヴァイ状態だったからね。」
「僕らとしては、なんか、高山さんて最後の牙城的な存在なんですよ。ほら、ブログとか読んでると、こう言っちゃなんですが、まじめそうな顔してヒドイ生活してるじゃないですか。」
「あははっは。それ、弟にも言われたわ。」
「でも、糖尿病ってどんな病気なんですか?」
「ほうっておくとヤヴァイよ。マジで。いろいろと合併症があって、言われてみればあれもこれもそれも糖尿病の兆候だったのねって感じ。」
「どんなふうになるんですか?」
などと、まずは病気話。そして、デブ話へ移行。
「1割もやせてないのに、もう8kgちょっと減ったからね。」
「すごいっすね。」
「でもさぁ、あんまり『痩せましたね』って言われなくて。」
「顔が少し細くなったって感じですかね。いや、お腹もへこんだかも。」
「今朝、かつて着用していたジーンズをはいてみたんだけど。」
「どうでした?」
「いやー、ぴったりだったよ。まだ、36インチはきつかったけど。」
「あーあー、それくらいになると、デブコーナーに行かなくても服を買えるんですよね。」
「そうそう、そうなんだよ。で、くそ高いんだよね。デブ服って。」
「やっぱ生地をたくさん使うからでしょうね。」
「うん。それと、コンプレックスには『高く』つけ込むのが基本だから。ハゲとか包茎とか。」
さらに、病院話も。
「・・・で、それがすっごく・・・・なわけ。だって、背伸びしながらコラーって感じですよ。」
「うわー、すげー萌える!」
「だよねー。もう、中央病院はイチオシっすよ。」

16時、事務所に戻る。
お隣で星野さんから、これ読んだ、と『函館物語 昭和の函館から』を渡される。
記録写真家で郷土史家の金丸大作さんの写真集。
残念ながら、お粗末な部分が散見。
もしかすると、著者の手が届かない部分で、やっつけ仕事がおこなわれたのかも知れない。
詳細は別記事にゆずる。

20時、万代食堂で晩ご飯。

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◆からし菜のおひたしが美味。

カミさんは書道の集まりへ。
事務所で原稿、ブログ。
8月2日(日)

8時半ころ起床。体重測定97.8kg。
もうひと押しなんだけどな。

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◆朝食。9時半。右上のバターは食べていない。

食パン1枚(2単位160kcal)、ゆで卵(1単位80kcal)、ルバーブジャム。
荒めに切ったキャベツの千切りが朝にぴったり。

11時、なんとなく長崎屋へ。

僕たちの世代にとって、長崎屋はワンダーランドだった。
(と書いてみたが、ワンダーランドの原義はよくわからない。)
ごく幼少時(昭和40年代末)は、お出かけと言えば大門である。
「さいか」の屋上で遊んだ後は、フタバヤでラーメンを食べ、ソフトクリームも舐める。
手をべとべとにしながら。
2〜3歳のころに赤川町(赤川通町)へ引っ越した。
引っ越した記憶はないが、赤川の家や周辺の記憶は残っている。
父は30歳を前にして、建て売りながら一戸建てを購入したことになる。
原野に家が十数軒建っていた感じだ。あくまで記憶のみを頼りに書いているが。
幼稚園(亀田ゆたか幼稚園)の夏休み前に本通に引っ越した。
これは覚えている。今度は新築である。
当時、ボーニミサワホームというハウスメーカーがあり、そこで建てた。
父は30歳そこそこで新築を手にしたわけである。つくづく船員の稼ぎはすごいもんだ。
この前後に、5歳下の弟が生まれている。
本通(当時の住所は本通町356。その後、本通4丁目27に変わった。)は、
いも畑を住宅街にした街だ。農住団地と呼ばれていた。

・・・農住団地(のうじゅうだんち):『函館市史 通説編第4巻』から引用(一部編集)
 大団地として造成されたのが、五稜郭公園の裏手、本通地区の「亀田中央団地(農住団地)」である。「″安値が花″の人気」を博したこの団地造成は、函館市本通中央土地区画整理組合が施行した。本通地区の農家などが休耕田や原野を供出し、農地の切り売りを防ぎ、団地造成による土地の付加価値を高めて、離農農家の収入の安定を図るのがおもなねらいであった。
 約48万平方メートルにおよぶ水田などが約1200区画の宅地に造成されていった。さらに小学校、中学校の開校や公園、保育所の開設、道路、下水道の整備にともなって追加造成がなされ、最終的に約50万9000平方メートルの水田地帯がベットタウンに生まれ変わった。
 このような住宅団地の造成は、昭和30年代から40年代にかけて函館市内の農地の約2割を消滅させ、景観も大きく変わった。

つまり、僕はいわゆるニュータウンで育ったわけだ。
実家のあるあたりは、その北側の端に位置していたた。
そのめか、区画(道路)はわりと乱雑で、行き止まりや袋小路がたくさんあった。
周辺は住宅よりも畑の面積の方が広かった。
実家の前は、素晴らしい黒土の道路で、雨が降るとよくぬかってすべった。
近くを流れる鮫川には、戸板のような橋がかかり、手すりさえなかった。
蒸気機関車(D51)が展示された大きな公園があり、その隣に生協と農協があった。
実家の2階の窓や屋根からは四方を見渡せた。
高い建物は公園の前にあった市営団地と五稜郭タワーくらいで、
函館港と函館山を見渡せた。ドッグのクレーンが並んで見えた。
そして、小学校(日吉ヶ丘小学校)に入学したころ、
美原に長崎屋とイトーヨーカドーが、たしかほぼ同時にオープンした。
母は長崎屋の正社員として働くことになったので、
僕はだんぜん長崎屋を贔屓にしていた。
長崎屋の看板(あのヒヨコのマーク)は大きくて、実家の窓からも見えるほどだった。
なぜか誇らしげな気持ちだったことを覚えている。

で、話はようやくワンダーランドに戻る。
長崎屋には、噴水があり、ゲームコーナーがあり、HBCラジオのサテライトスタジオがあり、
ファミリーレストランがあり、玩具屋があり、テレビ電話があり(たしか電電公社のフロアがあった)、
ロッテリアがあって、とにかくいつでも人がいっぱいいた。
迷子の呼び出しもたくさんあったもんだ。次々と。
僕は危険を犯すタイプではないので呼び出されたことはなかったが。
家族で長崎屋へ行くことはレジャーだった。
ついでに、地下銘店(東京羊羹の支店があった)で母の働く姿を見てくる。
そんな場所だった。嬉しくて、誇らしくて、楽しくて。そんな場所だったのだ。

やはり長崎屋っ子である同世代のカミさんと、
長崎屋函館店のかつての栄光を語りあいながら店内をぶらつく。
(ここでようやく日記に戻る。)
あの安っぽいラーメンや焼きそばや粉ものを食べた広い食堂は閉鎖され、
噴水の水は枯れ、色とりどりの照明は消され、
アリス(フタバヤ)や小いけ(元祖じゃない方ね)があった飲食店街は薄暗く、
当時から生き残っている店は梅寿司だけだった。
ガンプラ(当然朝から並んで整理券をゲットする必要がある)や
ファミカセ(くるくるランドなど)を買った玩具コーナーは、かなり以前からなくなっていた。
1時間以上かけて、いま現在の長崎屋を隅々まで歩きまわった。

14時半、長崎屋から同じ産業道路沿いのプルスタテラスで昼食。
夜は焼き肉がメインだが、昼はランチメニューをどうぞ、と。
カミさんは2度ほど利用したことがあるが、俺は初めて。

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◆サラダ、冷麺、ビビンバとか。半分ずつ食べる。ふたりで2000円以下。

昭和2丁目のブックオフ。2時間ほど立ち読み。
めまいがひどくならないように、あまり背表紙を凝視しないように探書。
ふたりで20冊ほど購入する。ま、半分以上は100円だけど。

小宮信夫『犯罪は「この場所」で起こる』
鎌田寛『病院なんか嫌いだ』
『BL新日本史』『看護婦の世界』『大学病院ってなんだ』
『医師がすすめるウォーキング』『老人介護 常識の誤り』
立花隆『農協』
三宅乱丈『ぶっせん』
吾妻ひでお『ななこSOS』『オリンポスのポロン』『ネオ・アズマニア』
北尾トロ『危ないお仕事!』『怪しいお仕事!』
『新しい日本酒の話』『ビール大全』
高橋葉介『仮面少年』『夢幻紳士』
『全国アホ・バカ分布考』『ダーリンは外国人withBABY』
竹内薫『99.9%は仮説』 とか

くたくたになって帰宅。
足が痛い。体重測定をすると食後で97.5kg。立ち読みの代謝も侮れず。

木古内の東出さんから電話。
「明日も天気良くねぇから撮影は延期にすんべや。
 火曜日から鹿児島だから、金曜日で予定してみるべ。」

19時半、入浴。
ほんとうに長風呂ができるようになった。汗がたくさん出て気持ちが良い。
週刊新潮を朗読(読み聞かせ)しながら湯船に沈んでいた。

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◆21時に晩飯。

ところてん(100g4kcal)、キャベツ炒め(1.5単位120kcal)、食パン2枚(4単位320kcal)、なめこの味噌汁2杯(2単位160kcal)、たたっきゅうり。

24時ころ就寝。
8月1日(土)

9時過ぎに起きる。
体重測定98.0kg。停滞気味。

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◆10時ちょい前に朝食。鶏手羽元は昨夜の残り。低脂肪ヨーグルト。

昼ごろ事務所。ブログを書く。14時ごろ帰宅。
昼食を食べ損ねたまま15時前から散歩へ。
雨塚踏切を渡って昭和公園。新五稜郭ニュータウン手前の踏切を渡る。
旧ホテルオークランドの横を抜けて国道5号。

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◆たぶん帝王貝(ムギワラギク)。妻によればドライフラワーにするんだそうだ。

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◆こちらは食用菊。お名前は「もってのほか」だって。おもしろい。

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◆「ささげ」が正式名称らしい。でも迷って「ささぎ」と言ったりする。

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◆代金とともに良心をも請求される。欲張りな箱だ。

産業道路まで歩いて空腹を覚える。
16時半、ヴィクトリアで遅い昼食。

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◆俺はサラダバーのみ。これを4回おかわりした。

ホクレンショップでお買い物。
ここを折り返し地点にして帰宅することに。

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◆真鍋博の挿絵のようだ。「エヌ自動車」なら完璧。わかる人は同志だ。

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◆国道5号の街路樹。トチノキ。「モチモチの木」の木。

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◆事件か。忘れ物か。昭和公園にて。

18時半、帰宅。
ゆっくり歩いていたので、しっとり汗ていど。
雲が厚く肌寒かった。

お腹が空かず。
このまま眠ろうかと思っていたら、21時すぎに空腹がやってきた。
ということで晩飯を食べることにする。

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◆野菜をホットプレートで焼く。ガーリックフランスパン。チーズは大好きなブルーチーズなど。

玉ねぎがすごく甘かった。ズッキーニうまし。
7月31日(金)

晴れ。とは言え、暑いって感じでもない。
頭が痛い。二日酔いか寝不足か。あれっぽっちで。
体重測定98.3kg。

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◆さわやかな朝食。

好物のラタトゥイユ(トマトの野菜煮込み)、フランスパン、野菜スティック、味噌マヨ、ルバーブジャム。
ラタトゥイユには、ズッキーニ・しめじ・玉ねぎ・茄子・ニンニク、それにトマトが入っている。

10時半、函館中央病院。今日は耳鼻科の診察。
聴力検査、T医師の診察。
血糖コントロール入院してから、めまいが再発したことを伝える。
ただし、耳鼻科的には眼球の揺れも聴力の低下もないので、
なんとも断言はできないという。
めまいはまぶしさ(瞳孔が開いた状態)とともに症状があらわれるので、
やはり眼科の診察をしておいた方が良いのかも。
「なるべく薬は減らした方が良いでしょう」 とも言われた。
どうしても、めまいを感じるとプラシーボ的に飲んでしまう。
次は9月頭の診察。腎臓生検で入院する直前だ。

精算後、2週間前まで世話になっていた病棟へ。
同室で知り合ったSさんのお見舞い。
病室を覗いてみたら空きベッドになっていた。あれ、まだ手術は先のはずだけど。
看護師詰め所で聞いたら、たったいま、別の階に移動したという。
そうか。手術の準備だな。
2フロアほど下がって、看護師詰め所で病室を確かめる。
名前を聞かれて、少々お待ちください。
看護師さんが戻ってきて、いま不在のようです、と。
そっか残念。名刺を置いて帰ろうとすると、うしろから「高山さん」と声をかけられた。
トイレに行ってたみたい。
「俺がいちばん長くなっちまったよ」とSさんと話はじめる。
僕が退院した後の病棟おもしろ話をいろいろ聞く。
笑いすぎて涙が出た。ここでは書けないのが残念だ。
興味ある人は、僕が酔っているときに「例の病院話をしてれよ」と 囁いてください。
1時間ほど話し込んで、では、また手術後に、と言って別れる。

病院前の薬局。いつも「お薬手帳はお持ちですか」と聞かれるので、
それはつくれるんですか、と聞くと、はい無料です。なんだそうなんだ。
じゃ、ちょうだいよ。あんまり積極的じゃないのかなぁ。
ただし、記録を記載するのに1回40円ほど必要だという。それは問題ないのに。

事務所に戻ってメールチェック。
「ハコダテ150」のML内で意見いろいろ。
メールは情報交換や情報共有には適しているが、
どうも議論するのは不得手だ。面と向かっていないと、意見の押し引きが難しい。
譲れない部分と譲っても良い部分をうまくハンドリングできない。
どうしても、遠慮しすぎるか、すべてを無視するか、といった具合になる。
適度な笑いも入れられないし。
メール1本に半日くらいかかったりするし。
よっぽど短時間でも顔を合わせて話し合った方が、結果も精神も良いような気がする。
まぁ、単に得手不得手の問題なのかも知れないけど。

文章を書くということは、少なからず「思想」や「意見」を表明することである。
いっさいの「判断」や「意思」のない文章はありえない。
もし、主張のない文章を書いたとすれば、
それは「主張をしない」という主張であると受け取られるということになる。
とは言え、自分の考えを強力声高に叫んでも、
すべての人の耳に届くわけでも、しっくり腑に落ちるわけでもない。
そこは、「伝わる」工夫をしなければダメだ。

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◆昼食。また「ひな野」。ご飯は30%ほど残して妻にあげた。

メニューは1カ月に1回変わるみたいだな。
前回と同じ料理が並んでいた。で、やはり前回とものを皿に盛りつけ食す。
もうちっと工夫しても良いところだが。

同じショッピングモールでぶらぶら。
青い鳥のやっちに会う。「カレーですか?」と聞かれた。
それは、たまたま前に吉田商店で会ったからだろ。
痩せましたねと言われずに悔しい。

書店で本を物色。あー、目が回る。
カミさんのものと合わせて10冊ほど購入。
帰宅。
家で仕事をしようと思ったらパソコンを忘れてきたみたいだ。

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◆晩飯。鶏手羽元のさっぱり煮。超大好物。軟骨までカリコリ食べる。

水菜がさわやか。春菊のごま和え。大根とニンジン。ラタトゥイユ。フノリの味噌汁。
さっぱり煮がいつもより甘い。なぜかなと思ったら、人工甘味料を使ったからだろうと結論。
嫌みな感じはしないが、けっこう甘みが残るんだな。

DVDで「トリック劇場版2」を見る。テレビドラマなんぞは、ほっとんど見ないんだけど、
「トリック」だけは何度も見直してしまう。仲間由紀恵が好きだから。

24時過ぎに就寝。3時ごろ痒くて起きる。
足の人差し指の先っぽを刺された。がっつり痒い。
やり場のない怒りを覚えつつ、蚊取り線香を焚いて最就寝。くそ。
前の5件 35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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