前の5件 29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39
8月29日(土)

9時半ころ起床。
昨日の告別式(忌中引)でもらった折り詰めが空っぽになっていた。
昨夜(今朝か)、酔って帰宅して、気を失いかけながら食べてしまったらしい。

090829-22733.JPG
◆ちゃんと撮影してた。茶飯も残さず食べてしまう。16単位1280kcalくらいか。

やはり飲酒は恐ろしい。
枷が外れてしまう。自制心が消し飛んでしまう。
おそるおそる体重測定。94.0kg。うひゃー。増えてる。そりゃそうか。

今日は奥尻島で「なべうる祭り」。行く予定だったがキャンセル。
二日酔いとかではなく、さすがに連続的な暴飲暴食はヤヴァイので。

090829-22734.JPG
◆13時ころ昼食。いつもの管理食3単位240kcalとパン4単位320kcal。

教頭先生から電話。
来月の学園葬で配布する「しおり」の依頼。
内容を考えて打ち合わせに行くと伝える。

脚全体のだるさ、ふくらはぎの張りと痛み、そして足指先のしびれ。
日ごとに我慢できなくなってきた。さすっても伸ばしても温めてもダメだ。
以前、腰痛を感じたとき、整体に集中的に通って改善したことがある。
一縷の望みで、とある整体院に電話。

15時、整体院。まずは50分ほどマッサージ。
腰、首、そして背中の左側が腫れているという。
揉まれている間は気持ちよいが、すぐに、だるさやしびれがぶりかえす。
20分の整体。院長が体をいろんな方向にねじってくれる。
で、最後に、ため息をついて「たぶん、これじゃあ間に合いません」と来た。
カーテン越しに、さっき隣でしていた会話と同じだなぁ。
詳しく書くのも面倒なので書かないけど、つまり、整体では治りが遅いよと言われた。
スペシャルな施術があるのでどうか、と聞かれる。
波動とか地場とか、あれ系の言葉がわらわらと出てくる。
申し訳ないが、こちらは半笑いである。
やっぱり、整体の施術は疲れるから、触らなくてすむ施術法をすすめるんだろうか。
なんとかいうシールは、めっぽう高いようだし。原価率が良さそうだ。
ただ、あんまり熱心なので、いちどやってみることにする。
こちとら、生活すべてが取材みたいなもんである。

ちなみに、こんな会話があった。
「長野県にゼロ地場の場所があって、そこに行けば腰痛もガンもすっかり治るんです」。
これって、どうなの。ぎりぎりか。
ということで、明日も行ってみる。

090829-22736.JPG
◆晩飯。キャベツって美味いなぁ。1玉炒める。ご飯2単位160kcal。

今週はいろいろありすぎて生活が乱れた。
健康的な生活を阻害する要因は、ほんとうにたくさんある。
僕の精神はずいぶんと弱い。はっきり言って、ここ数日は酒に逃げていた。
酩酊して、忘れて、何事もいつのまにか解決するかのような錯覚に浸りたかった。
でも、結果は2kgほど太っただけだ。仕事も停滞するし。
いや、飲酒自体は楽しかったけどね。
でも、ほどほどの酒で楽しめる工夫を身につけなくては、
この先の糖尿病生活がおぼつかない。
すでに、通院から56日たつが、まだまだ迷い道くねくねである。

隠さずに書いてる俺って偉いな。
ごめんなさい。函館中央病院のWs先生と管理栄養士のTさん。
予想通り、2カ月くらいで緩んできました。
----------------------------------------------------------------------------------------------------
※道立函館美術館 特別展「箱館 - 函館」に関する追記あり。(9/1)
----------------------------------------------------------------------------------------------------

8月28日(金)

9時過ぎに起床。
体重測定93.1kg。戻っちゃった。

090828-22459.JPG
◆朝食。健康管理食3単位240kcal。ちなみに1食800円(送料込)。パン2単位160kcal。

朝食を食べようとしたら薬がない。探しても出てこない。昨夜、通夜の会場に忘れたかしら。
妻に間違って持っていってないか確認のメール。

11時、告別式に出るために着替え。
スーツとズボンは、妻が小樽に戻る前にハンガーに掛けていってくれたようだ。
しかし、ネクタイがない。あらら。困った。ノーネクタイでも良いだろうか。
義父に電話。会場にネクタイは落ちていないか聞く。
しかたないなぁと思いつつ、家を出て車に乗り込むと、
車内の床にネクタイが落ちていた。酔っぱらうものではない。

11時半前、斎場へ。
「薬とネクタイをみんなで探したんだよ」と笑われる。

090828-22464.JPG
090828-22465.JPG
◆忌中引(忌中取り越し法要?)のお食事。天ぷらと茶碗蒸しは残した。

帰宅。着替えて事務所へ。

星野さんが函館美術館で開催されている特別展「箱館 - 函館」に誘ってくれる。
15時半ころ入館。
僕や星野さんには、かなり楽しめる内容だ。
だが、それでも説明(展示品のキャプション)が少ない気がする。
いろいろ欲張ってみたが、時間切れでコレクライって感じの展示。
もったいない。
告知(ポスターや新聞広告など)はド下手。
あれじゃ、なにをやっているのかわからない。
かと言って、謎めいて興味を引くわけでもない。
展示品を集めて終了じゃないでしょ。多くの人に見てもらってナンボでしょ。
そこまで、工夫して努力してこそ、本当のお仕事でしょうよ。
そこんところに、頭も金も時間もケチるな。
すべてが無駄になっちゃうじゃん。
半分ちょっと見たところで、「当館は17時で閉館です」と。
うわ、いまどき予想できないような閉館時間。
今回、この街をテーマにした函館の人のための特別な展示なんだよね。
あー、もったいないもったいない。

17時まで仕事。石川くんに電話。すでに診察を終えて、実家に帰っていた。
18時、迎えに行く。昨夜は、うちの実家で田酒を飲ませたそうだ。
俺には、まったくそのようなサービスはないんだけどな。
悔しいので、今晩も酒を飲ませることにする。

弁天町「はとば」の池田くんに電話。
本通からだと、弁天町の店まで車で20分以上かかる。
19時前到着。
病気もしていたので久しぶり。まずはビール3杯。7.5単位600kcal。

090828-22543.JPG
◆離島で馬に乗って葡萄を収穫しワインを醸造している石川くん。

石川くんによる「はとば」の感想

090828-22633.JPG
ユッケ(牛肉の刺身)。半分食べる。5単位400kcal。

090828-22638.JPG
◆店主の池田くん。昔は盗んだバイクで走り出していた(嘘)。

ビールのあとは焼酎(ロック)。
麦1、栗1、芋4。たぶん。各3単位240kcalとして全部で1440kcal。

090828-22647.JPG
◆たらこ。ごろっと大きい。2くちほど食べる。0.5単位40kcal。

090828-22709.JPG
◆隣り合った知らない客。女性ふたりは、そのうち僕の腕から採血してくれるはず。

090828-22683.JPG
◆お隣のお隣からいただきもの。

090828-22698.JPG
◆これは何をしているかというと、
 3組の客が「誰の髪の毛がいちばん良い匂いか」を競い合っているところだ。
 もう、わけがわからん。

奥の男性は、年に3回ほどラーメンを食べに函館へ来るそうだ。
東京でどっかの大学の先生をしているらしい。

090828-22723.JPG
◆まぐろの尾っぽの方。なかなか濃厚な味。

090828-22470.JPG
◆お子様はアイドルだ。

090828-22549.JPG090828-22550.JPG090828-22553.JPG090828-22557.JPG090828-22562.JPG090828-22566.JPG
090828-22571.JPG090828-22575.JPG090828-22588.JPG
◆上のお子様にカメラを渡して、お父さんを激写してもらった。

090829-22729.JPG
◆27時55分。そして、僕らだけになった。(撮影:早く帰りたがっていた店主)

NCV「函館酒場寄港」の第一夜でも紹介したが、
ここ弁天町「はとば」の魅力は「狭い」ことにある。膝を寄せ合って飲む。
奥の席へ皿やグラスを運ぶためにリレーをする。
そのうちに、目があって軽く会話が始まる。
お互いの素性はわからないが、お互いに酒好きなことはよくわかる。
つまみを分けあいだす。笑いだす。騒ぎだす。賑やかになる。楽しい。
なにせ、8人〜10人ほどで満席の店である。

この店を訪れるには紹介が必要だ。
周囲に酒場好きが1人いれば、たぶん、この店に来たことがあるはずだ。
だから、住所も電話番号も開店時間も定休日も、ここでは教えられない。

もし、どうしてもツテが見つからないときは、僕にメールください。
一緒に飲みましょう。ただし、僕が飲酒できるのは月2回ですので。
(今月はずいぶんと約束を破ってるけど。)

代行車(おさるのかごや)を呼んで、本通の実家に寄って帰宅。
車内で運転手さん相手に80年代音楽イントロクイズをしてた。
たぶん28時半に帰宅。

さ、明日から真面目になるよ。
8月27日(木)

体重測定92.8kg。
93kg台に入ってから、なかなか壁をやぶれなかったが、
なぜか本日突破。
6月15日の糖尿病(慢性高血糖症)発覚から12.8kgの減量。
さすがに、以前の服が着られなくなってきた。
この日、そのことを思いっきり痛感することになる。

朝刊に外山校長先生の黒枠が掲載される。
奥さんと2人の息子さんと並んで、ご両親の名前が並んでいるのが痛々しい。

090827-22418.JPG
◆おかすは健康管理食で3単位240kcal。パン2枚4単位320kcal。

この日、帰省していた弟も東京へ戻り、日常が戻りかけてきた。

妻から電話。幼いころ世話になった人(吉田のばっちゃん)が亡くなったので、
葬儀に参列するために函館に戻るとのこと。
当初、僕は仕事を休んで参列することに反対をしてしまったが、
あとで、かなり思い出もありお世話になった人だと知る。
妻には冷たいことを言ってしまったな。

14時、JR函館駅。
奥尻島から腰痛の診察(函館中央病院)に来た石川くんを迎えに行く。
石川くんは島への移住者で、
馬に乗って葡萄を栽培してワインを飲んでいる人だ。
  おもしろい経歴なので、詳しくはこちらを。→ 「ニオムロ馬の杜
先日、メールをやりとりしていたら、診察のために二泊三日かかると聴き、
そりゃあもったいないから泊まっていくかい、ということに。
ま、そんなことを言いながら、うちの実家に放りこむんだけど。
実家は息子3人とも出て行って両親だけだし。たまに客が来た方がリハビリなのだ。
と勝手に考えているんだが。
事務所に戻って父に電話。16時半、石川くんは父の車で実家へ。

16時40分、JR五稜郭駅。妻を迎えに行く。
駅舎内は高校生だらけ。妻は喪服で帰ってきた。
帰宅。通夜は18時半からだ。のんびりお茶を飲んでから、どれどれとスーツを探しだす。
スーツは2003年に「紳士服の青山」で購入した1着しかもっていない。
函館大妻高校80周年記念式典に出席するために購入したもの。
校長先生に「そりゃあずいぶん散財させたね」と言われたっけ。
タンスの奥で発見するも、なんとなくシワがついている。
ズボンにはベルトが通されたまま。しまった。クリーニングに出し忘れてた。
冬に松前の伯母の葬儀に着たままだった。
お次はワイシャツがない。ない。ない。押し入れの奥で発見。しわくちゃ。衿が真っ黒。
こりゃダメだ。17時40分、ワイシャツ購入を決断。上磯ダイエー隣の「はるやま」へ。
3Lの半袖ワイシャツを2500円(割引セール)で購入。
自宅へ飛んで帰って着替え。今度はズボンがゆるゆる。ダイエット食品の広告写真なみ。
2003年と言えば、120kg近くあったころだ。つーことは、25kg以上太っていたことになる。
ベルトを25cmほど切断する。やれやれとジャケットを羽織ると、
まぁ、当然ながら、こちらもガフガフの状態。
シングルのジャケットがダブルになってしまった。
これを着ていくのは、すごくイヤだが仕方がないし時間がない。

18時25分、美原4丁目「美原博善斎場」へ。ここは駐車場が少なくて往生する。
座ってすぐに導師(曹洞宗)の入場。読経、焼香、説教、約1時間半。
事前に妻からは
「親戚一同が、あなたに会いたい、飲みたいと期待しているから覚悟して」と言われていた。
なんだそりゃと思っていたが、謎はとけた。
儀式を終えた後、喪主(長男)に挨拶しようと「このたびは...」と言いかけたとたん、
「おーっ、高山さん。いっつもテレビ見てるわ。」と言われる。
なんとも応えようがなくて、どーもどーもと笑うしかなし。
結局、お悔やみの言葉は口にせず。
ここで帰ろうかと思っていたが、そのまま通夜振る舞い(家族や親戚による飲食)に参加。

090827-22419.JPG
◆お刺身。ホッキ貝が甘くてうまかった。

最初は妻に飲酒役を任せるつもりで、
妻の母親が畑から持参した大きなキュウリばかり食べていたのだが...。

090827-22425.JPG
◆妻のイトコ(母方の本家)。左の長男は悪い奴で、けっきょく俺に酒を飲ませた。

ということで、なし崩しに飲酒。親戚づきあいというのは恐ろしい。
ビール1杯でエンジンがかかり、場所もわきまえず騒ぎ出したら、
向こうの席から喪主とその弟さんからお呼びがかかる。

ひとしきり番組の話。
本当にヘビーな視聴者らしく、たくさん番組評を聴かせていただく。
「川島さんを紹介しろ。合コンをセッティングできないのか」とか言われてません。もちろん。ね。
ローカルにおけるケーブルテレビ(の自社制作番組)の影響力って、
すごすぎるんじゃないだろうか。
けっきょく、つまみも食べずに泥酔。たぶん、20単位1600kcalくらい。
なぜか、後半は型抜大工の話と人材起用の話をしてた。
24時ころ代行車(キング)を呼んで逃げる。

帰宅。飲み過ぎた。相互タクシーを呼ぶ。
24時50分、妻はJR函館駅へ。深夜の列車で小樽へ向かった。
まだ時おり、急に悲しい気持ちが込み上げてくる。
それでも、日々は刻々と進み、日常は絶え間なく動いていく。
自身の病気との付き合いも同じだ。
24日以降の記録を改めて綴り直す。


--------------------------------------------
8月24日(月)
--------------------------------------------
体重測定93.3kg。
校長先生の訃報を確認し茫然自失。
仕事を続ける気分にもならず、早々に切り上げることにする。
隣の星野さんが誘ってくれたので、万代町「道頓堀」。
痛飲。ぽろぽろと涙が落ちて止まらなかった。
函館中央病院の古川さんが合流。
活イカ刺し、ビール、焼酎。12単位960kcalほど。
22時半ころ帰宅。


--------------------------------------------
8月25日(火)
--------------------------------------------
5時起床。体重測定94.7kg。

090825-22130.JPG
◆朝食。ご飯2単位160kcal、ワカメと豆腐の味噌汁2単位160kcal。

6時に出かけて、14時に乙部から戻る。
昼食を食べ損ねる。
15時、大妻高校。
16時、事務所に戻るものの気力わかず。
港町「アークス」で買い物。キャベツ、おにぎり、など。
帰宅。

090825-22245.JPG
◆晩飯。おにぎりは1つだけ食べた。


--------------------------------------------
8月26日(水)
--------------------------------------------

7時起床。
体重測定93.0kg。

090826-22248.JPG
◆朝食。数日前のバーベキューで余った野菜を投入した味噌汁。

8時半、校長先生の葬列を見送る。
直前まで写真を撮ろうかどうか迷ったが、
自分のためにも撮影することにした。

090826-22270.JPG
◆校長先生の自慢だった庭園を霊柩車が進む。

090826-22303.JPG
◆漠とした気持ちが静寂となって学校を包む。

天気が良くて、風が気持ちよくて、
もう、校長先生がいないなんて信じられなくて。
斉藤先生と今後のこと。話すうちにまた泣く。
食物健康科棟のテラスで秋保先生とも立ち話。
「俺より先に逝くなんて、おい、信じられねぇよ。
 ここの生徒が卒業して巣立っていくのをあれほど楽しみにしていたのにな。」
そうでしたね。また泣く。

校庭のベンチに座って泣いていたら、
北出先生が「校長先生の好きだったゴマ餅をつくろう」と声をかけてくれた。

090826-22376.JPG
◆米粉からつくる。僕はこねるのを手伝っただけ。

こねて丸めて。冷めるのを待つ間、食物健康科棟の控え室で
野村先生、小坂先生、北出先生、それに教頭先生が加わって
校長先生の思い出話をしばし。

090826-22389.JPG
◆美しい庭園が見渡せるカフェテリア。「どう? いいでしょ」という校長の声が聞こえてきそうだ。

090826-22403.JPG
◆うまかった。2単位160kcal。
090727-13747.JPG
追悼 函館大妻高等学校 外山茂樹校長先生(7月27日撮影)

ずいぶんと涙を流してしまった。
人前でだらしなく泣いて、でも止めようがなくて、ようやく三日たった。
僕はわずか8年半という短いお付き合いだったが、
正直、ずいぶんと大きな存在を失ったという思いを強くしている。
それは、ご家族、ご親族、学校関係者、
そして、校長先生を知る多くの人たちも、同じ思いを抱いていることだろう。
しかし、それよりもなによりも、僕は悲しくて切なくて寂しくて仕方ない。
胸に穴があいた。確実に。いまは、それをふさぐすべがわからない。

  8月24日、信じられないことだが、
  函館大妻高等学校の外山茂樹校長先生が急死された。
  6月に還暦を迎えたばかり。
  突然の入院から1週間。あまりに駆け足すぎだ。

その日、15時半ころ、僕は第一報にふれた。
「高山くん聞いているか? 外山さんが亡くなられたらしいぞ。」
何を言っているのかわからなかった。すぐに聞き返す。
「なに、どういうこと? 前の理事長先生のことですか?」
「違う違う。しげき、茂樹、校長先生だよ。まだ、詳しいことはわからないんだが。」
なんだそれ。そんなわけないだろ。
どういうことなんだ。ぐるぐるといろんなことが頭をめぐる。
「とにかく、僕は学校に電話をしてみますので。」
激しく咳き込んで18日に入院。学校でも限られた人しかお見舞いができていない。
電話の向こうで事務長先生が説明してくれる。
「あの、情報が錯綜していまして。では、今も入院加療中ということですね?」
そうです。大丈夫です。その言葉を聞いて電話を切る。
しかし、確かなルートから、校長先生の急死を裏付ける続報が届く。
嘘だろう。なぜ。そんな理不尽ってあるだろうか。信じられない。

ご家族だけの葬儀。公表はそれを終えてからということに。
非公式に伝え聞いていたが、やはり、どうしても我慢できなくなって、
翌日の昼過ぎに学校を訪れてしまった。
「ごめんなさいね。昨日、あの時点では何も言えなくて。」
事務長先生と短い言葉を交わすうちに、
なにかがこみあげてきて、そして涙になってこぼれた。こらえきれなかった。

090530-11028.JPG
卒業生の皆さんと、生徒が作った弁当を食べる。(5月30日撮影)

背伸びをして「ものかき」と名乗ってはいるが、つまりは一介の売文の徒であり、
社会一般で見るところでは、単なる出入りの業者でしかないような僕に、
しかも親子ほどの年齢差(実際に校長先生と僕の母親は同い年)がありながら、
校長先生はいつでも気さくに話をしてくれた。僕の話にも耳を傾けてくれた。

「どーだ、どーなった。」「いやぁ、忙しい忙しい。」「悪い悪い、待たせたね。」
いつも、このいずれかを口にしながら、校長先生はせかせかと応接室に入ってくる。
仕事の打ち合わせでは、提案やアドバイスを歓迎する一方で、
「な、やっぱり、これが良いな。な。」と、ご自身の考えをしっかりと持っている人だった。
学校運営はもちろんのこと、多くの公職・要職に就かれていたが、
「(伝統を)守ること」と「(伝統を)つくること」を同時にまっとうできる希有な人材であったと思う。
過去を尋ね知って、いまを多角的に分析し、そして将来の中長期的な見通しをたてる。
校長先生はもともと経済を学んだ研究者であり、
外山家の三代目として函館大妻高校に入る以前は、大学で経済学を教えていた。
教育者としての使命と重責を果たしながら、
経営者もしくは経済学者としての強い自負を持っていたのではないだろうか。

090517-8269.JPG
庭園での観桜会。植樹を手伝う校長先生。(5月17日撮影)

僕は校長先生との長話が大好きだった。いつも、お菓子を食べながら。
音楽、とくにJazzを愛していた。名盤や必聴盤を教えてもらった。
教育や福祉における切実な問題をいくつも聞かせてくれた。
政治、国政から市政まで、縦横に意見を持っていた。
もっとも、立場上それを公にすることはなかったと思うが。
読者家でもあった。僕が読んだ本は、ほとんど先に読み終えていた。
経済学の話は、ずいぶんわかりやすくておもしろかった。
市民向けに入門的な経済学の講座を開いたらどうかと何度かすすめると、
いまはまだ忙しいから、と満更でもなさそうだった。
学校の将来のこと。
そして、ふたりの息子さんのこと。

僕は失ってしまった。
怠惰な僕の精神を刺激してくれる大切な人のひとりを。
僕の仕事を認めて、評価して、励ましてくれる大切な人のひとりを。
寂しくて悲しくて悔しくて切なくて辛い。

DSCF7447.JPG
体験入学の中学生に笑顔で声をかける校長先生。(昨年10月13日撮影)

校長先生が成し遂げてきた数多くの事績、
この街に残した大きな成果の数々は、
きっとそれぞれの関係者が語ってくれることになるだろう。

校長先生との個人的な思い出をひとつひとつ書き始めたらきりがない。
それに、校長先生と関わった人たちは、
誰もがそれぞれに大切な記憶をお持ちのことと思う。
いつか、そんな皆さんのお話を聞かせてもらいたい。

ひとつだけ。
先ごろ僕が呑気に入院したとき、わざわざ病室までお見舞いに来ていただいた。
そして、校長先生は、こう言って励ましてくれた。
「まだまだ、がんばってもらわないといけないから。しっかり治すように。」
そうですね。あと10年ちょっと。百周年まではがんばります。
そう言って笑いあったのは、ついこの間のことだと言うのに。

090826-22257.JPG
全校生徒・教職員が整列する中を、
校長先生の棺を乗せた霊柩車が校庭を一周した。(8月26日8時40分撮影)

校長先生、ずいぶんといろんなものを残していかれましたね。
たくさんの種をまき、いくつもの苗が芽吹き、これから次々と実がなるというのに。
でも、いちばん大切にされていた学校は、
これからもたくさんの新しい息吹を生んでいくに違いありません。
校長先生の思いは、ずっとずっと消えることはないと、僕は思い信じています。

たぶん、そちらでも、これまでと同じようにいろいろと頼まれて、
断り切れずに忙しくされているのかも知れません。きっと、そうでしょう。校長先生らしいもの。
そうだ。それから、ピアノの練習を忘れないように。
戦前から学校で大切にされてきたピアノの修理が終わったら、
校長先生みずから校歌の伴奏を披露すると言っていたじゃないですか。
「しばらく弾いていないけど、私の腕前はけっこうなものなんだよ。」

校長先生。
本当に、本当に、早すぎますよ。

2009年8月27日 ものかき工房 高山潤


090602-11198.JPG
食物健康科1年生の戴帽式を見守る校長先生。(6月2日撮影)


【追記】
※9月18日(金)13時から、函館大妻高校にて学園葬がおこなわれます。お問い合わせは学校まで。
※葬儀について。「学校の授業や行事に迷惑をかけることがあってはならない」という校長先生のお考え(ご遺言)を尊重し、ご家族のみで葬儀をとりおこなったということです。
前の5件 29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39

プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


ツイッター

最近のコメント

最近のブログ記事

アーカイブ