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C型慢性肝炎(インターフェロン治療)による入院1日目。

土日をかけて部屋の掃除をしつつ、入院のための荷づくり。
けっきょく、いくつかの仕事は病室へ持ち込むことになった。
大荷物だ。こんなの持ったら、背中が折れるかもしれない。

7時半、妻からの電話で起床。
3日の卒業式に、生徒たちからいただいた花束は、
吊り下げてドライフラワーに。
緒川ラッシー(亀)は、まだ半分冬眠しているので、
妻と相談して部屋で留守番させることにした。
今朝も、がたがたと騒がしいが、エサは食べない。

10時すこし前に、函館中央病院の入院受付へ。
病棟から迎えに来たスタッフが、
登山家のようなリュックと両手一杯の荷物を見て、
「お持ちしましょうか」と驚いている。
ご親切はありがたいが、
(おそらく)年上の女性に重い荷物を持たせるわけにはいかない。
書籍やパソコンやらで、かなり重いのだ。

病室は6人部屋。真ん中のベッドに案内される。
前回(2009年7月の糖尿病教育入院)も6人部屋だったが、
窓際を占領できたので、今回はすこし窮屈に感じる。
そう言えば、案内表示板に「無菌病棟」と書いてあった。
なんか違うのかな。

大量の荷物を、ベッドの下にある物入れや
床頭台(棚と引出とテレビと冷蔵庫とロッカーが一体化したもの)にしまう。
例によって、ものかき工房支局のできあがりである。
前回は少しずつ事務所から運んできたが、
そのときの経験がきっちり役立つ。まぁ、役立っても仕方ない部類だが。

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◆入院前に集めておいた関連書籍。近年出版されたもので、一般で入手可能なものはだいたい揃っているはず(患者の書いた闘病記は除く)。一冊ずつ日記で紹介していくつもりだ。

看護師さんが来て問診。
「ちょっとだけ、いろいろお聞きします。」と言われた。
どっちなんだよ。
体重97.6kg(増えたナー)、身長178.5cm(なぜか1cmくらい伸びてる)。
今後、公称身長を179cmにしよう。
血圧は140の90。

廊下側の隣のベッドが空いていたので、
看護師さんに、そっちには移動できないんですかね、と聞いてみると、
午後から入院予定のお爺さんがいるとのこと。
「高山さんは若いから真ん中に」。
なんとなく納得。病気の時は従順なのだ。
でも、窓側が空いたら、移動できるように図ってもらえるとのこと。
ありがたい。やっぱり、外の風景は気晴らしになるんだよね。

看護師さんには「面会謝絶」もお願いした。
明日からはインターフェロンの投与で、
とりあえず確実な副作用として高熱に悩まされることになる。
糖尿病での入院時は、続々と来るお見舞い客が適度なヒマつぶしになったが、
今回はベッドに寝ころんでいる可能性が高いので、
あんまりそういう姿を晒したくない。というわけで、面会謝絶。
正面受付でぼくの病室を聞いても「面会謝絶です」と言われるはずだ。
退院までに、自分で試してみようと思う。

前回は病衣(病院から借りる寝間着)を着ることに抵抗したが、
このたびはすんなり着用。病室が暑いもんで。
それでも、検査のために病棟から外来スペースを
通り抜けていくのには抵抗があるので、ジーンズとTシャツに着替える。
レントゲン室から戻ってきたら昼めしどきに。

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◆12時32分/昼食:ご飯(180g)、鶏肉のパン粉焼き、ハムとアスパラとビーフンのなんか、サラダ(キャベツとコーン)、オレンジ(半分)。636kcal、タンパク質24.2g、塩分2.0g

午後になって、同室のご近所さんたちに家族やお見舞い客が来る。
聞くとはなしに、病気話や世間話を聴きながら、とりあえず仕事をする。
胃ガンと胆石について、すこし詳しくなる。

同室者と一緒に心電図を計測に行く。
「ぼくは肉厚だからですかね。病室が暑くて。」
と話しかけたら、「ま、若いからだろ」と言われた。
それをきっかえに、入院患者的ルールとして、
きっちり病気話を聞かせていただく。
20年近く2型糖尿病でインシュリンを投与しているらしい。
今回は別の病気での手術のために入院したとのこと。
「早めに風呂に入ってしまいなよ」と、病室先輩からのアドバイス。

家から持ち込めなかったものを、
病院1階にあるローソンで購入。箱ティッシュとゴミ箱と烏龍茶。
つくづく便利な病院である。
銀行ATM(みちのく銀・北洋銀)はあるし、
ドトールコーヒーはあるし、
ローソンでは焼きたてパンまで購入できる。
なんなら、すっと丸井さんまで出かけて、
帰りがけに一杯やることも不可能ではない。しないけど。

16時前、主治医が顔を出す。
病衣を来ていなかったので「ふつうの格好してますね」と言われた。
明日からのインターフェロンとリバビリンによる治療の説明。
何度も聞いたし、書籍でもたっぷり予習済みではあるが。
「副作用は様々ですが、多くの場合は熱が上がります。
 これは薬で下げるしかありませんので。
 どれくらい続くかは個人差です。」
主治医とは、2009年6月からのお付き合いだ。
このぼくの糖尿病(ヘモグロビンA1c 12.8%)を、
ここまで回復(ヘモグロビンA1c 5.5%)させた名医である。
今月末で退職というのが、つくづく残念だ。
C型肝炎の治療についても、
主治医のもとでなら大丈夫だろうと判断した部分もあった。
患者への情報提供を面倒がらず、
ぼくが職業的クセでしつこく質問しても、きっちり回答を提示してくれた。
ざくっと叱るし、ほろっと褒めるし、ツンデレっぽいところも好印象だった。
次の主治医とも、同じような関係を築くことができれば幸せだ。

まやまやしているうちに晩ご飯。

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◆18時05分/夕食:ご飯(180gより多いか?)、味噌汁(たまねぎ)、焼き魚(ホッケ)、煮物(絹ごし豆腐)、からし菜の和え物、キウイ。569kcal、たんぱく質21.3g、塩分3.1g。

田んぼ記者である俺の発言としてはぎりぎりだが、
一日でこんなにご飯(お米)を食べるのは久しぶり。
ここしばらくは、おかずばっかり食べてしまう傾向にあったので。
もしくはラーメンばかり。たぶん、いや絶対に塩分過多だったはず。
これで一日23単位(1840kcal)なんだよな。
少なくは感じない。以前の入院時よりも、料理がおいしくなった気がする。
気のせいかも知れないけど。

ナースステーション前の壁に、
摂取カロリーや成分が記載された献立表(1週間分)が張り出されていた。
これは大進歩だ。たしか、2年前にはなかったはず。
昨年、函館五稜郭病院に検査入院した際、
食事トレーに、メニューと栄養成分が書かれた札が添えられていて、
これは素晴らしいと思っていたからだ。
食事も重要な治療のひとつであるから、
退院後の参考になるこのような取り組み(情報提供)は大切である。
ついでに、病院のサイトなんかで、公開・蓄積していけば良いのに。

つつがない夕食後、「デザインルーム・オバタ」の和也さんから電話。
正面1階のロビーで待ち合わせて、
進行中の仕事(日本海フットパス)の打ち合わせ。
明日から数日は、こういうわけにはいかないだろう。
道新のみなさんが、退院打ち上げをご用意しているということなので、
がぜん楽しみになった。

病室に戻り、ブログに掲載する文章を書く。
思いのほか長文になってしまった。
この記事をもって、いちおう病気について公開となる。
治療の開始宣言でもある。

引き続き、入院初日の日記を書く。
書き始めたところで消灯となったが、じわっとこっそり書き続ける。
が、23時ころあきらめて就寝。

あっ、ツイッターを通じて、いくつか励ましをいただきました。
ありがとうございます。それなり真面目に治療していきます。
そうだ。これはもう、しめしめだ。
そう思うことにしよう。
自分がC型肝炎ウィルスに感染していることを知ったとき、
少なからぬショックを受けると同時に、ぼくはそんなことを考えていた。

というわけで、今日からC型肝炎の治療を始めます。
現状、ぼくはC型肝炎ウィルスのキャリアから一歩進んでいて、
病名として「C型慢性肝炎」と診断されています。
おもな症状は肝機能異常。
ずーっと肝臓の数値が悪かったのは、大酒だけのせいじゃなかったわけ。
 いま、多くの人が「おまえは酒だろ。ほとんど。」とつぶやいた気もするが、
 さっぱり聞こえなかったことにする。

C型肝炎ウィルスに感染すると、最終的には肝臓ガンを発症する。
こいつは避けることができない。
ウィルスを排除できれば、その可能性は大幅に減少する。
そのための治療として、インターフェロンの投与がおこなわれている。

治療を始めるかどうか。
こんなぼくでも、珍しく半年ほど悩んだ。というか、迷った。
そのへんのことをふくめて、
詳しくはこの日記で追々書いていくつもりだが、
その要因のひとつとしてインターフェロン治療の副作用がある。

風邪やインフルエンザと同じである。
インターフェロンがウィルスをやっつける副作用(症状)として、
まずは高熱が出る。頭痛や関節痛も多く見られる。
これは治療初期に目立つが、身体が慣れていくとおさまっていく。
そのために、インターフェロン治療を始める場合は、
最初の2週間ほど入院して様子を見るのが基本となっている。

ぼくの場合、ウィルスの遺伝子を検査した結果、
難治性のC型肝炎であることが判明したので、治療は50週間続く。
インターフェロンの投与を重ねるうちに、頭髪の脱毛もおこる。
ま、これはぼくには関係ないけどね。

ごくまれであるが、肺炎・脳出血・脳梗塞がおこる可能性もある。
そして、ぼくがなによりも恐れているのは、鬱(うつ)症状の発症だ。
ふだん無神経で厚顔無恥な暮らしをしているだけに、
ぼくに鬱への耐性が備わっているか、たいへん不安だ。
治療を始める決断はしたが、この不安は解消されていない。
酒でも飲んで憂さを晴らせばよいのだろうか。
しかし、病気治療において、気分の浮き沈みはよくあることでもある。
糖尿病の治療でも、それは経験している。
ぼくは「書く」ことで、
こころのバランスを取れるのではないかと思ってはいる。

治療を迷った理由は、もうひとつある。
それは、まさに「C型肝炎」であるからだ。
これは(日常生活において、その可能性は低いが)感染する病気である。
お恥ずかしいことだが、ぼく自身がそうであったように、
この病気へのイメージは良くない。悪い。
きっと、そういう「目」のなかで、苦しんできた患者が大勢いるだろう。
治療するからには、ぼくは糖尿病のときと同じように、
なんらかの形で記録し公開するつもりだった。
転んでも、ただで起きるのはイヤだし。
でも、公言する覚悟みたいなものを、じくじくと迷っていたのだ。

とは言え、
この病気と「闘う」なんてつもりは毛頭無い。ついでに、毛根もないけど。
現代に生まれたことに感謝しながら、
最先端の医学の助けを借りて、この病気と向き合っていきたいと思っている。

もちろん、医師と投薬に任せっきりにするつもりもない。
それで完治できるほど、お気軽なものではないことも知っている。
患者としてのぼくに課せられた役割は、
体力を維持して増強すること、
そして食生活(というより、おもに酒生活)の改善だ。
あとは飽きずにあきらめずに続けること。

そこで、しめしめである。
ものかき(職業ライター)としては、
この病気と治療の様子について書き残すことが使命だと(勝手に)感じている。
治療の結果・結末とは別に、
自分自身がどんな文章を書きつづるのか楽しみでもあるのだ。

糖尿病の治療でも強く思ったことだが、
治せる病気を「こわい」とか「めんどう」とか「いそがしい」とか、
そんな理由で先送りしてしまうのは、もったいないことだ。
いま30代後半から上の人間は、かつて日常生活において
C型肝炎ウィルスに感染する可能性があったことを否定できない。
(このへんの事情も、後日の日記でふれていく予定だ。)
まずは、かるく血を抜くだけ。保健所での検査は無料である。
自覚症状や肝臓数値の変化がなくても、
あらためて肝炎ウィルスの抗体検査を受けることを強くおすすめする。


病気の詳細については、ごく一部の人にだけお伝えしていました。
多くの人にお知らせできなかったことを、この場でお詫び申し上げます。
また、この病気についてご理解と応援をいただいた関係者に深く感謝します。
 ・函館大妻高等学校の池田延己校長先生。
 ・函館市女性センターの原田恵理子館長。
 ・青函フェリー、共栄運輸株式会社の北村隆社長。
 ・デザインルーム オバタの小畠和也さん。
 ・「代わりはいませんから」と番組休止をこころよく許していただいた
  NCV(ニューメディア函館)のみなさま。
本当にありがとうございます。

あともうひとつ。
妻・郁子が感染していなかったことは、
ぼくにとってなにより幸せなことであった。

どんな因果か、ぼくの身体にたどり着いたウィルス。
C型肝炎とは、どんな病気なのか。
なぜ、ぼくは感染したのか。
そのことを、このブログでゆっくりと検証していくつもりだ。
そういうわけで、「問う病日記」という副題をあらためてつけた。
わかりにくいか。まぁ、勘弁してよ。
では、またあとで。


2011年3月7日
これからもうまい酒を呑むために、
函館中央病院の病室にて。
高山 潤
久しぶりにブログを書き始めたと思ったら、
なんだか、らしくない記事ですが、良い物を手に入れたので。
どうしても自慢したくて。

ブログ「Smiling *写真のお部屋」の管理人であるlapis(ラピス)さんに、
あみぐるみ「ふっくりんこ くまちゃん」をつくっていただきました。

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右は和服の「うさちゃん」。ひとめ惚れして購入。
妻が着物好きでよく着ているもんで。
ぼくはいつも帽子かほっかぶりをしているので、
これは夫婦なのだということに。

lapisさんのあみぐるみは、
函館駅前「WAKO」2階の「たまて箱」などで販売中。
詳しくはlapisさんのブログをご覧ください。

ちなみに、米袋のイラストとロゴは公式のもの。
「函館育ち ふっくりんこ蔵部」の田んぼ記者であるぼくが、
勝手に(仮)公認ということで提供しました。
たぶん農家のみなさんもオッケーしてくれるでしょう。

3月末から始まる田んぼ取材に、
この「くまちゃん」を同行させようと思っています。
田んぼブログでも、ちらちら登場するはず。

これはいいものだ。
使い古された表現だし、
これまでも、そう感じる瞬間がいくつもあって、
そのことを充分に知っているわけだけど、
やっぱりこうつぶやきたくなる。
長いようで短いもんだ。あっというまに時間は過ぎていく。

2011年3月3日、函館大妻高校で卒業式があった。


まずは、厳粛な式典へのぞむ直前の卒業生たちの様子から。
明るくて元気で、彼女たちらしい。

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家政科・福祉科・普通科の卒業生たち。
しっかり憶えているわけじゃないけど、
きっとみんなを撮影したことがあるはずだし、
ちょくちょくレンズに入ってきた顔も見つかる。
幾人かに声をかけつつ撮影しながら廊下を歩いた。


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◆卒業生で写真をほしい人がいたら、
 学校まで連絡してください。もとのデータをさしあげます。
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午前10時、卒業式が始まる。

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◆食物健康科の講師(中華料理)、函館国際ホテル・木村料理長。

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◆池田校長先生から卒業証書が授与される。大妻高校ではクラスの代表が受け取って、
 卒業式の後で担任から一人ずつ手渡される。

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◆学科ごとに、成績優秀者の表彰もおこなわれた。

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◆卒業生を受け持った教員。

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◆校歌斉唱。

やっぱり、ここでほろっとくる。


次の記事からは、入学からの3年間をかけて、
びっしりと追いかけカメラを向けてきた食物健康科を中心に紹介。
11時30分、式を終えて最後のホームルーム。
食物健康科3年、野村久子先生の教室にて。

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「3年間、よくがんばりました。
 でも、ここにいらっしゃる家族や、
 協力をしてくれた全員の支えがあってこそ、
 卒業することができた。そのことを忘れないようにしなさい。」

野村先生の言葉を心に刻む生徒たち。

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◆野村先生が袴のすそをめくりあげた。
 「私は今日、袴の下に留め袖を着てきました。
  かわいいあなたたちを、お嫁に出すような気持ちです。」

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◆ひとりずつ卒業証書を手渡していく。

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◆38人の生徒たちに、声をかけ、握手をし、頭を撫でる先生。

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◆生徒たちは、卒業証書と調理師免許証を受け取った。

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◆最後の1枚。

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11時55分、卒業証書と調理師免許証を渡し終える。

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◆生徒たちからの花束を受け取った野村先生。涙が見えた。

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◆調理実習を支えてきた北出先生。

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◆「おばあちゃん」と慕われたこいた先生。

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◆七飯町「ブランヴェール」の田中シェフ。
 「厳しく指導してきたが、みんな立派に成長した。」

 生徒たちは、こっそり「や●ざ先生」と呼んでいたらしいが。
 それほど、厳しく怖く、でも、慕われていたということだろう。

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◆ついに、こらえきれず。

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◆イタリアンの講師、本通「アンティカオステリアデルアルバ」の奈良シェフ。

こちらは「紳士」と呼ばれていた。

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◆ゆっくりと別れと励ましの言葉を交わしていく。
卒業式は終わった。
最後のホームルームも終えた。
旅立ちの時間だ。

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【クリックで拡大します】
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◆函館大妻高校食物健康科としての最後の集合写真。
 あいつら、すごく良い表情してやがる。

 3年間通って、彼女たちの写真を撮り続けてきたので、
 外部の人間であるぼくでも、さすがに生徒ひとりひとりに思い出がある。
 名残惜しい。でも、この笑顔にいつか再会できる楽しみができた。

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せっかくなので、記念として。

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花束ありがとう。お手紙も嬉しく読ませていただきました。

みんなに「工房さん、こんにちは」と声をかけられるたびに、
嬉しくも照れくさくもありました。
ところどころではありましたが、
みんなと同じ時間や気持ちを共有できたのは、
ぼくにとって大切な思い出です。
たぶん、仕事を越えていたと思います。いや、かなり。
レンズ越しだけど、きみたちを見続けてきて本当に楽しかった。

それから、たくさんのつまみ食いもありがとう。
あと2年たったら、うまい酒をご馳走するからな。

たくさん失敗して、叱られて、悩んで、それでもあきらめない。
しなやかで強いこころ。
人生でいちばん大切なことを、
この学校でたっぷり学ぶことができたと思う。

もし、この先、
落ち込んで泣き疲れて、もうダメかなと思うことあったら、
高校での3年間を思い出すといいよ。
先生たちのこと、仲間たちのこと、ひとりじゃないことを
ずっと忘れずにいてください。
卒業おめでとう。

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生徒みんなの卒業アルバムに、メッセージを書き込んでいく野村先生。
食物健康科一期生を送り出して、今年で函館大妻高校を退職する。


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それぞれの思い出はつまった先生や校舎に別れを告げて。

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また、いつかそのうち、会いましょう。
元気でね。健康第一。それは、俺か。



これは先生との約束でした。
食物健康科一期生たちの3年間を記録すること。
膨大な数の写真と思い出を、
彼女たちの成長を本当に楽しみにしていた
外山茂樹校長先生へ捧げます。
7月28日(水)

12時半、原稿のテキストをメール送信。
10日ばかり続いた各種原稿を、デッドラインをふらふらと越えながらも、
ようやく書き終えることができた。
職業ライターとしては、これ以上に雑多に、これ以上に大量に書くのが本分なのだが、
1年たって治療意識が低下している糖尿病患者にとっては、
このクソ忙しさは体のバランスを壊すのに最適すぎた。

起きて、書いて、書いて、逃げて、食べて、読んで、寝て、書いて、食べて、書いて、逃げて、書いて、食べて、寝て、書いて、書いて、食べて、寝過ごして、悲鳴をあげて、書いて、書いて、書いて、書いた。
そんな10日間の結果がこいつだ。

体重94.2kg。

向田邦子は400字詰め原稿10枚で、きっかり1kgの体重が減ったそうだ。
そんな単位で原稿を書いたことはないので、
あえて原稿用紙で換算すれば80枚くらい書いたけど、
僕の場合、ずいぶんと体重が増えてしまった。
そういえば、頭がふらふらする感覚がある。懐かしい。血圧が高い。
そういえば、食事後の空腹感とか、なすすべのない過食とか。
どれもこれも久しぶりの感覚だ。

糖尿病で入院してから1年。
そろそろ恐れていたこと、かつ、予想していたことが起こってしまったようだ。

13時半、函館中央病院の内科へ。
昨年6月15日の初診から369日目。14回目の診察。
一昨夜からの「ほぼ徹夜」で、かつ20時間ほど食事を摂っていない状態。
  食べると多幸感に包まれて、原稿の締め切り直前でも寝ころんでしまうので
  本当にやばい状態のときは、書き終わるまで食事を抜いた方が効率がよいのだ。

診察の詳細は別項に改めて書くが、
糖尿病に直接関わる数値に目立った悪化はなかった。
ただし、食生活の悪さを示す数値はダメ。
心あたりがある。

主治医には「1年たちましたし、そろそろここで、もういちど入院してみますか」
という慈悲深いお言葉をいただく。

しょんぼりとした気持ちで病院から帰り、
部屋の整理整頓大掃除。

20時、奥尻島から妻が帰ってくる。
今回はフェリーに車を積んできた。
さっきまで、悲壮感を漂わせていたのに、
妻の帰函で浮き足立つ俺。

そのまま、亀田港町「家庭の味 やえちゃん」へ。
こっそり、すっかり、ちょくちょく通うようになってしまった。

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◆お通し。マグロの角煮、かな。1単位80kcal。

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◆あげナス。2切れ食べて1.5単位120kcal。

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◆イワナ。2匹食べて2単位160kcal。

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◆山菜ミズのおひたし。

ビール、中ジョッキ7杯。
1杯2単位160kcalで、14単位1120kcal。

「やえちゃん」の道路を挟んでちょうど向かい側にある
理髪店「髪遊(かみゆう)」のマダム(呼称がわからないので)に、
「あなたの番組(NCV「函館酒場寄港」)、見てるわー。うれしー」と言われて、
ビールを2杯もごちそうになる。申し訳なし。でも、ありがたし。
取材先からの便宜供与は断るようにしているが、
こういう「ノリ」のときは、ありがたくちょうだいすることにしている。
一緒に来ていた息子さんは、
番組のお店選びに興味があったようだ。
で、ひとつ若松町のおもしろそうな店を紹介してもらう。
ちかいうちに偵察するつもり。
明るく気さくな親子だった。また、会うことを約束して見送る。

22時ころ帰宅。

この日のカロリー、20単位1600kcalくらい。
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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、街のアジテーター(扇動家)、奥尻島旅人。C型肝炎患者(難治性・HCV・2011年3月から抗ウィルス治療を開始)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市出身(第一次オイルショックの年に生まれる)。父母はいわゆる団塊世代。妻は奥尻島で小学校の教員(臨時)をしているので別居中(長万部町静狩小→旧砂原町砂原小→小樽市北手宮小→奥尻町奥尻小)。体重増減中(最大117kg→最小86kg、現在リバウンド中。主治医による目標体重は70kg。そんなに痩せられるかよっ!)。取材・執筆のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。インタビュー記事や日常雑記に歴史や民俗学のテイストを加えた文章を得意とする。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。函館海藻アート協会」事務局長。函館市女性センターの指定管理団体監事。NCV「函館酒場寄港」案内人(ただいま休止中)。2005年から田んぼの取材を継続。「函館育ち ふっくりんこ蔵部」田んぼ記者。

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