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2012年3月24日
函館中央病院で迎えた八日目。

朝起きたら、けっこうな降雪と積雪。
ブルドーザーが病院の駐車場を除雪している。

起きぬけに採血一発。

体重に変化なし。

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朝食/知内のニラをたっぷり食べたい。ステマじゃないよ。

主治医の回診。
血液検査の結果。ほとんどの数値は改善へ。
ただし、尿酸値だけ顕著な上昇。
食生活に影響を受けやすい数値なので、
主治医いわく「私の知識では、いまのところ原因はわかりません」と。
3年前の入院治療でも、同じような現象が見られたが。
いちおう金と時間をかけて入院しているので、食事にずるはしていない。
食事の他に影響をおよぼすのは、過度なストレスと激しい運動である。
自分の身体がよくわからない。

昼前に妻が来院。健康診断を受けたついで。

来月から、また別居になる。
結婚後初の同棲生活は1年弱で終わった。
住居の手配やら引っ越しのだんどりやら。

昼飯。撮影し忘れた。
横に妻がいて、浮き足立っていたのかも知れない。

ごはん、焼き魚、ほうれん草おひたし、れんこん、味噌汁、だったはず。

午後から一時帰宅。
外出届に記載する外出理由を「便秘解消」と書いておいたら、
看護師さんが笑っていた。

郵便物や宅配便の整理、仕事のだんどり、トイレ。

2時間ほどで病院に戻る。

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晩飯/主菜はモヤシと肉。しょっぱかった。でも、家から持ち込んだ「オールフリー」にぴったりだった。

明日の体重減を期待しつつ就寝。






【自分史草稿(八)】-----------

家から100mほどのところに小さな商店があった。
幼い私でも狭いと感じるような間口の店だ。
何度かお使いに行った記憶がある。
ある日、その店へ行く途中で子犬を見つけた。
そばに大人がいたので、きっと飼い犬だったのだと思う。
首輪やリードなどはしていない。
私は生来の臆病であったが、白い子犬をさわってみたくて近づいていった。
大人もいるし大丈夫だろうと。
ところがである。子犬は私に向かって猛然と吠えだし、
驚いて後ずさる私に飛びかかってきた。
さらに、走って逃げ出す私を、それはまるで獲物を見つけた猟犬、
いやライオンやチーターのように追いかけてきたのだ。
その様子を見ながら、大人は「逃げるからだぞー」と笑っていた。
私はその小さな店に逃げ込み、しばらく帰宅することができなかった。
ずっと「大人なんだから助けてくれたらいいのに」と恨み言をつぶやいてい。
私はもっと臆病で引っ込みがちな性格になっていった。

家から400mほど、赤川通りとの交差点には、もうすこし大きめの商店があった。
たしか名前は「赤川ストア」だったか。
いまは、その向かい側にセブンイレブンがある。
赤川の自宅前の通りは「むつみ通り」という名前がついているらしい。

道幅はさほど変わっていない気がするが、赤川通りはまだ舗装されていなかった。
通りを500mほど歩くと中規模スーパーの「つしま」があった。
家からは1kmくらいになるのか。
日常食料品の買い出しはここだったと思う。
いわゆる「お出かけ」や「お買い物」は大門へ行くわけだ。

「つしま」の2階には、いっときレストランが開業していた。
幼い私はいつもその店が気になっていた。
たしか冬の日だ。そのレストランで食事をしようと出かけたことがある。
喜び勇んで扉に手をかけると、本日休業だった。
そのときの残念な気持ちを、いまでもきっちり思い出すことができる。
子どものころから根に持つタイプだったようだ。

病気になると小松病院に連れていかれた。
この病院はいまも現存している。現在、「学園通り」と呼ばれる通りにあり、
「コープさっぽろ」の向かい側だ。
ここにはかつて運転免許試験場があった。
2012年3月23日
七日目の函館中央病院。

いつものごとし。体重に変化なし。
つまらん。

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朝食/愛想のない目玉焼き。

午前中、新はこだて農協の田山さんが病室に顔を出す。
今日は年一回の人間ドックだったそうで。
春からの農業体験番組の話、
仙台で開催した「みなみ北海道グルメパーク」の話など。

新年度に動く事業なども、いろいろ耳にする。
北斗市では新幹線開業に向けて、
北斗市らしい(それはつまり大野町・上磯町らしい)事業を、
官民でいろいろ考え動かしていくようだ。
ぼくは新幹線について、いまのところなんの定見も持っていないが、
このように、ひとが集まって考えて行動しだすのは、
とても良いことだと思っている。
きっと、なにか手伝えることもあるだろう。

大雪と農産物の話も。
まぁ、やはりこれだけ降れば、影響はあるようだ。
野菜で言えば、露地もハウスも需給タイミングのずれが価格に影響しそうだ。
お米に関しては、おそらくすこし遅れるくらいで、品質にはあまり影響しない。

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昼飯/麺類はつるつる食べてしまうので、「ゆっくり食べて満腹になったような気がするじゃないか、いやはや驚き」作戦が使いにくい。

リハビリ室で軽いストレッチのあとで、エアロバイクを40分。
今日はすこし負荷を増やしての運動。
心拍を把握しながらの運動は、あまり疲れないけど筋肉に効いている感じがする。
本当におもしろい。

病室に戻って、さて仕事するか、とサムネを切り出したら、
お見舞いにもうひとかた。
以前、「ハコダテ150」というサイトでご一緒させていただいた青年だ。
お互いに古い物自慢の話をする。
楽しく仕事をしてください。それがいちばんです。

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晩飯/今日はあまりおいしくない。滋養には良いのだろうけど。


ツイッターとフェイスブックを、すこしだけ復帰させてみた。
ただ、あまり積極的にそれらのツールを稼働させるのには、まだちょっと躊躇がある。
知らない人から、いろいろ言われるのは、本当に胃が痛くなる。

知人なら、
「あー、こいつはこんな人間だからな、これくらいの戯言はいつものこと」
となるところを、ちくちくと(メディアの人間としていかがなものか的に)言われると、
いつから俺はそんな立派で影響力の大きな人間に認定されたんだよと思う。
それやこれやと、IFNの影響による精神不調で、
しばらくツイッターもフェイスブックもブログも触りたくなくなっていたのだ。







【自分史草稿(七)】-----------

家の前は舗装道ではなくて、先のとがった石が敷き詰められていた。
採石されて砕かれた石だったのだろうか。

ある日、すっころんだときに、その砂利道に手をついたら、
手のひらの皮がべろりとむけたしまったことがある。
サビオ(絆創膏のこと)を貼られて、たぶん1週間くらいで治ったのだが、
皮膚が再生した手のひらを見てみると、手相が激変していた。
カーブを描いていた手のひらのしわが、3本に分断されて並列していた。

手相占いってのがあるが、すっころんだくらいで変化する手相を見て、
未来のなにがわかるというのだろうか。
この事象からわかるのは、転んで顔に傷をつけるほど
鈍い子どもではなかったということくらいである。
将来、酔っぱらって転んで、まぶたの上を切ったのはまた別の件だろう。
3月22日(木)

函館中央病院にて六日目。
左頭が日焼けしそうだ。気温もそれなりとラジオの天気予報。

廊下の向こうから聞こえてくる声や、
カーテンのすきまから見える光景から、
医療現場の事情、そして、社会の事情が見えてくる。

高齢者向けの情報媒体をつくる仕事をしてから、
  (まぁ、団塊世代の親も、じわじわじわりと高齢者に脚を踏み入れているし。)
老後とか介護とか福祉に関連する書籍をかためて読んでいる。
そのうち、病室に持ち込んだ2冊。

 ◆西垣千春著『老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策』(中公新書)
   高齢化社会における幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる。
   医療が進歩したり、福祉が拡充されても、
   やはり、今も昔も変わっていない根本は変わっていない、ということ。 

 ◆大井玄著『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)
   幸福度を高める準備を怠っていると、どうなるか。
   その結果のひとつが、「痴呆(認知症)」ではないだろうか。
   当事者、関係者、そして社会の成員として、なにができるのか。
   そんなことを考えつつ読んだ。

アマゾンで、医療社会学に関連する書籍を数冊注文。

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朝飯/病院でしか見たことがない梅びしお。

12時、個人栄養指導。

食事療法に関する知識は十分ということで、
失敗の原因とこれからの対応について話し合う。
とは言え、ぼくと管理栄養士で意見はまったく一致していた。

あとは、なぜか去年の4月から外来診察での糖尿病指導と食事指導が外れていたので、
(原因はよくわからないし、肝炎治療が思いのほか辛くて気がまわらす放置してた)
退院後の再開をお願いすることに。

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昼飯/八宝菜のタケノコだけ残す。このカボチャうまい。

いそいで昼食。

リハビリ室で軽い運動。
エアロバイクに心拍計が付いていて、その目印に運動するという行為が楽しい。
これまでバイクには、
スピードとケイデンスだけを計測できる機器を取り付けていた。
トレーニングってほどではないので、ハートレートモニターはいらないと判断して。
でも、効率よく、かつ長く運動するには、
このモニターが重要かつ良い指針になると実感。
スピードメーターだけだと、短時間でもどれくらい速度を出せるか、
そっちに気をとられちゃうんだよね。
心拍計(ハートレートモニター)の購入を決意する。

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晩飯/肉だ。すごいもんだ。痩せないよ。これじゃ。

半年ぶりに、運動意欲がわいてきたので、
 (肝炎治療の影響で体力・気力ともに萎えてしまっていた)
入院中に細々準備をしておくことにする。
とりあえず、携帯電話(au)のダイエット記録系のサービスを登録してみた。







【自分史草稿(六)】-----------

祖母(母方)とはいつごろから同居していたんだろう。
両親が赤川に家を購入は、
もしかすると祖母との同居が前提だったのかも知れない。
大正生まれの祖母は、和裁(着物を仕立てる仕事)をしていた。
内職にしては、それなりに稼いでいた。
祖母の部屋に遊びにいくと、きれいな反物がいくつも広げられていたり、
竹尺やら、チャコやら、針や糸、よくわからない道具がたくさんあって楽しかった。
ただ、たまにたいへん高価な着物の依頼があるらしく、
たとえばミカンなどを握りながら部屋に入っていくと、
針を刺すよ、的な脅されかたをして、追い出された(気がする)。

母は札幌とその近郊で生まれ育ち、
あまり恵まれていない境遇を、歯を食いしばって乗り越えてきた人だ。
母の生い立ちについては、はっきりすべてを聞いたことはないが、
とくに幼少時のエピソードは書き綴るのをためらう。
とは言え、おそらく私の人格形成には、
どちらかと言えば母親の影響を受けているようなので、
きっちり対峙しておく必要があるとも感じている。

 十年ほど前に、母親を石狩市八の沢に連れて行ったことがある。
 母が小学校時代を過ごした場所で、かつて石油採掘がおこなわれていた。
 母はよく八の沢での悲喜こもごもを語ってくれた。
 そして、かならず最後に泣き出した。
 石狩市に問い合わせをして、場所を確認してから訪れた。
 わずかに、小学校の校門だけが残っており、
 それ以外の痕跡はまったく失われていた。
 とても、人が住んでいたとは思えない景色になったいた。
 母は泣きながら、幼いころの思い出をぽつぽつと語っていた。

母は札幌北高校を卒業した。
同級生の多くは北大に進学していったという。
おそらく、母にも進学へのあこがれはあっただろう。
家庭の事情はそれを許さなかったらしい。すぐに稼ぐ必要があった。
たしか、北海道労働金庫に就職し、さらに松下電送機器へ転職したらしい。
そういえば、母の本棚に松下幸之助の本があった気がする。
その後、国鉄松前線で父と出会うわけである。
3月21日(水)

五日目の函館中央病院。
窓からの眺め、雪景色の吹雪模様で驚く。
血圧127/78、体温35.5度。

午前中は腹部エコー検査のために絶食。
昨夜21時から水分もとっていない。

10時半、主治医の回診。
検査データの提供についてお願いすると、
こころよく応じてくれる。

11時ころ検査室に呼ばれて、
お腹にローションをぬられて、撮影端子をぐりぐり押しつけられる。

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待望の昼食/ハヤシライス、ポテトとタマゴのサラダ。なんとなく、著名なネズミのシルエットに。


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皿底にはパリパリにアルファ化した米が。食べられないので残念だが残す。

なんだろう。炊いたご飯が足りなくなったんだろうか。
こういう当たりを引くのが、俺らしくて満足。

14時、糖尿病患者に向けた集団栄養指導。
摂取カロリーの把握と食事内容(「食物交換」方式を使う)のレクチャー。
基本的な事項なので、とくに新しい情報は得られなかった。

まじめに取り組むと、料理を見ただけで(計量をしなくても)
カロリー量がわかってくるもんだ。
ただし、慣れとゆるみで、計測目盛りが甘くなってくる。
「慣れてきたら、毎回の計測は必要ありません。
 ただし、確認のために月1回くらい計り直してみましょう。」
この指導には、たいへん納得。

あちらの都合で、運動療法の時間がなくなりキャンセルに。
すこし身体を動かしたかったので、散歩に出かけることにした。
過去の入院では、そのつど外出届を提出して、主治医の許可を取り、
それでようやく外出するという流れだった。
今回は主治医から「ご自由に」という言葉があるのと、
病棟の看護師長の柔軟な対応によって、
声かけだけで出かけられることになった。
まぁ、重症ではない、ということもあるだろう。

街を歩くと情報(看板とか音とか香りとか)があふれていて、
思考が刺激されるので良い。
仕事のこととか、いろいろたくさん着想がわいてきて楽しかった。
歩道に雪が残り、けっこう歩きにくい。
湯の川まで歩いて、かるく汗をかいて帰ってくる。

向かいベッドにいる患者は、どうやら父と同郷らしい。
声をかけて、いろいろ話をしてみると、
(田舎なので当然のことながら)わかるわかる、ということになった。

となりの爺さんのところに娘が来る。
お互いに、いろいろぶつぶつ文句を言っているのが聞こえてくる。
 「いやぁーやぁ、タバコ1本くれや」
 「なに言ってんの。意味わかんないわよ」
笑いをこらえるのが大変だった。

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◆晩ご飯/ごはん(195g)、焼き魚(サバ)、すまし汁、鶏そぼろ煮(ほらまたササギだ!)、和え物。薄味羽の俺だが、魚にはしょうゆがあった方が良かったかな。たぶん添付もれじゃないだろうか。







【自分史草稿(五)】-----------

茶の間には「バルカン スパーヒート」 とかいうストーブがあった。
たしか外国製。
でかくてごつくて、さらに灯油をかなり喰うものだったそうだ。
ぺらぺらの隙間だらけの家だったので、
パワフルな暖房が必要だったのだろう。

台所は家の北側に位置して(玄関や茶の間は南面していた)、
たいへん寒かった記憶がある。
食事は台所にあるテーブルで食べた。
そのころは、たいへん食の細い子どもで、
いつも親に隠れて、ごはんやおかずを捨てていた。

急な階段をのぼると、2階には向かい合う部屋がふたつあった。
ひとつは寝室で、大きなベッドと小さなベッドがあった。
この大きなベッドは、引っ越した先の家に現存している。
もうひとつの部屋は、祖母(母の親)の部屋だった。
3月20日(火)

四日目。函館中央病院。
1kg痩せた。便秘が解消されたので、その分とも言える。

 「もう、死んじまいたいの」
 「まー、そんなこと言ってぇー、かんたんに死ねないんだよ」

そんな会話が廊下の向こうから聞こえてくる春分の日。
極楽浄土は彼岸の彼方か。

祝日で検査などもなく、病棟はゆったりしている。

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朝食/ごはん(195g)、味噌汁(大根葉)、温泉たまご、大根とにんじんの煮物、牛乳、減塩しょうゆ。

血圧136/72 体温 35.7度
家にいるときと同じ。

朝からでかい声で電話をしているオッサンがいる。
病棟マナーを逸脱しちゃうのは、男性のほうが多いような気がする。
そして、病状の進行に(精神的に)弱いのも男性だ。

11時過ぎに妻が来院。
4回入院して、妻のお見舞いがあるのは初めてだ。
1階のドトールで、ミラノサンドCをがつがつ食べていた。
こちらは真っ黒のコーヒー。

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昼食/豆ごはん、焼き魚、大根おろし、きゅうり酢の物、三つ葉のおひたし、しょうゆ。

なぜか、ぼくの昼食が手配されていなかったようで、
10分ほど遅れて運ばれてくる。
あわてたのか、減塩しょうゆではなかった。

14時過ぎ、NCVのディレクターが来院。
4月以降の番組企画などを打ち合わせ。
農業体験もののコーナーを立ち上げられるかも知れない。
楽しくなってきた。

昨年の2月から休止している「函館酒場寄港」の話題も。
視聴者アンケートでは、再会のお願いがいまだに寄せられるそうで。
ありがたいことである。ふだん求められることが少ないので嬉しい。
なんだかんだとしゃべりすぎて疲れる。

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晩飯/ごはん(180g)、味噌汁(ふ)、スパゲティー、鶏肉。

今日はコーヒーを飲み過ぎて胃もたれ。
食欲がないが、明日は検査のために午前中は絶食なので、そろそろと箸を付ける。
なんだかんだ言って、きっちり食べた。






入院記録のついでに、むかし話を綴っていますが、
これは僕自身のリハビリとして書いているだけなので、
読んでも役に立たないし、おもしろくもないです。

【自分史草稿(四)】-----------

しばらく、おしゃぶりを咥えていたそうだ。
いまでも、おしゃぶりはゴム色をしているんだろうか。
おしゃぶりを捨ててきなさい、と何度も言われた。
当時はトイレットではなく、ぼっとん便所である。
私は便槽に落ちたおしゃぶりをじっと見つめていたという。

引き戸の玄関を入ると、広めの靴脱ぎスペースがあった。
左手が茶の間へのとびら、右に振り返ると便所のとびら。
正面右手に階段があり、その下に収納スペースがあった。

ここになぜかパチンコ台が置いてあった。
銀色の取っ手を指ではじくタイプのものだ。どこかで拾ってきたんだろう。
チューリップに銀玉が入ると、ちゃんと玉が出て電飾も光った。
私の玩具だったのか、父の玩具だったのか、よくわからない。
おかげさまで、それ以来、私はいままでパチンコをしたことがない。

茶の間は板張りの壁で、床はぎしぎしと音を立てていた。
建て売りの安普請だったのか。
後年(と言っても、この赤川の家には4年ほどしか住んでいない)、
業者が来て床下を点検していたのを覚えている。ひどい状態だったという。
庭に面した大きな窓があり、ガラスにはひび割れがあった。
私が激突したあとだ。

壁には躍動する馬が描かれたカーペットが掲げてあった。
イスタンブールででも買ってきたんだろうか。
このカーペットは、いまも引っ越した先の実家の壁にある。
三畳くらいの大きさなのだが、
実はよくみると一畳分くらいカットされて、つなげてあるのがわかる。
ひまで仕方なかった子どものころ、この絵を何時間も見つめていたっけ。

向かいの姉妹とおままごとをするか、
近所の女の子の家に遊びにいく以外は、
家でトミカを走らせたり、赤い車の絵ばかり描いている子どもだった。
ひとりで、ぶつぶつ、つぶやきながら。
ちなみに、幼稚園までは、すらりと痩せていた。
いかにも、もやしな感じ。
チラシの裏や画用紙に、くねくねと線を引いて、
それに合わせて何台もの車の絵を描いていく。
母はうまいうまいと言って、それを何枚も壁に貼ってくれた。

ガラス張りのサイドボードがあって、
そこには洋酒のミニチュアボトルが並んでいた。
大きなワニの剥製もあった。
父が中南米で漁をしていたとき、お土産で買ってきたもののはずだ。
目玉がビー玉だった。
15センチほどのタツノオトシゴの剥製もあった。
大沼公園で拾ってきたドングリを引き出しにしまっておいたら、
虫がわいてひどいことになっていたのも覚えている。

幼稚園に入る前だと思う。家に刑事が来たことがあった。
車内から財布を盗まれたのだ。
 あとで、近くの中学生の犯行だとわかった。
警察の人が来るよ、と聞いて、窓ガラス越しに来訪を待っていたら、
私服の大人が普通の車でやって来た。
私は残念そうな顔をしていたのだろうか。
その刑事が「パトカーじゃなくてゴメンな」と声をかけてきた。
ここでパトカーを間近で見ていたら、警察官になっていたかも知れない。
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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。C型肝炎患者(難治性・HCV・2011年3月から抗ウィルス治療を開始し、翌年2月に寛解するもウィルス再燃、2014年10月からインターフェロン・リバビリン併用療法で再治療、2015年9月ウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市出身(第一次オイルショックの年に生まれる)。父母はいわゆる団塊世代。取材・執筆のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材)。


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