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2012年3月26日
十日目となった函館中央病院。

体重減らず。
いや、100gくらいは減っていそうなのだが、
旧式な体重計なので針が震えて、正確な数字が読みにくい。
なんとなく昨日より減ったな、というのはわかるが。

早朝から、引き続き写真の整理。
あらためて、ずいぶん撮っているなぁと思う。
レリーズの回数を調べてみたら、99267ショットになっていた。
Nikon D90の購入から3年。とにかく無駄撃ちが多い。
そこのところは、やはりプロのカメラマンとの歴然とした差だ。
風景などは、
びしっと光を読んで、ばしっと構図と決めて、ガシャッと切る、
ってのが本来なのだろうけれど、いつまでもバシャバシャやっている。
まぁ、人物取材の写真も多いので、
表情ができてくるまで、自然な動きをとらえるまで、その瞬間までねばると、
シャッターを切る回数が増えていくのは仕方ないとは思うが。

Nikon D90は10万回のレリーズ試験に耐えた、
とかパンフレットに書いてあったはずだ。そろそろなんだろうか。
D800あたりを購入したいところだが、DXレンズが使いにくくなるし、
なによりそれなりのお値段だし。
順当にD7000ってところか。ネーミングがイヤなんだよなー。
今シーズンの取材は、なんとかD90のままで持ちこたえたい。

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朝食/温泉タマゴは、そのまま食べるべきか、ご飯に乗せるべきか。またもや、ささぎに出会う。

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昼食/鶏の竜田揚げ。涙が出るほどうまい。

14時、道新さん和也さんが来院して、情報紙の打ち合わせ。
頭を使いながらおしゃべりすると、
どんどんアドレナリンがあふれてきて、心拍数が上がり汗がにじんでくる。
この興奮が、意識をジャンプした着想を呼び込むことがある。
つまり、人と会って話すのは楽しいってことだ。

リハビリ。理学療法士とお話をしながら。
初回の指導時は、スケジュールが混み合っているという事情があったらしく、
ちょっと対応に難あり、という印象があった。
二回目以降は、質問にもわかりやすく答えようとしてくれるし、
気さくなエピソードも語ってくれる。
対人コミュニケーション能力の高さが感じられる。
今日は「飲酒」と「ホルモン」と「大盛りの店」の話ばかりしていた。

直前の打ち合わせと、飲酒話が効いたのか、
ずっと心拍数が高めだった。我ながら、わかりやすい身体反応だと思う。

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晩飯/ふつう。

食事は慣れだと思う。とくに「味」はそうだ。
3年前に同じ病院に入院したとき、最初の2日くらいは不満を感じた。
でも、だんだんと病院食なりの「おいしさ」を舌で探すようになり、
まずいとは思わなくなった。
そりゃあ、重湯とかお粥ばかりだと、満足感は得られないだろうが。
塩辛いものだかり食べていれば、それがおいしいと感じるし。
薄味の食生活を続ければ、強い塩気をまずいと感じるし。
人間には高い適応能力(つまり適当ってこと)があるから、すぐに慣れる。

ただし、身体が受け付けないもの、
アレルギーとか、弱っている胃腸には負担がかかるとか、
そういうものは慣れるとかまずいとかの問題ではない。

「慣れ」はすぐにつくられる。
だからこそ、食事療法を続けるのは難しいのだと思う。
2012年3月25日(日)
函館中央病院で迎える九日目の日曜日。

体重減らず。
停滞五日目。ほんとうにつまらない。

本日は二回目のターゲス。
朝から晩まで、7回の採血をおこなって、
血糖値の動きを精査する検査。

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朝食/モヤシでいいので、腹いっぱい食べたい。

散歩しようかと思うが、
外は吹雪模様なので病室でおとなしくしていることにする。
いつまで降るんだろうか。

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昼食/ハンバーグ万歳。

妻が来たので、1階のエントランスで茶のみ話。
すぐ近くで、妊婦と青年が深刻そうに話している。
妊婦は泣きながら、青年をなじっているような感じ。

妻の見立てでは、出産前の不安を青年にぶつけているのだろう、と。
それで、出産しちゃえば、けろっとするのよ。

そんなもんか。

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晩飯/タラのムニエル。家庭科でムニエルを習ったな。いちおうフランス料理なんだよな。


消灯を乗り越えて、23時過ぎまで取材写真の整理。
7年分の田んぼ風景がぎっしり。

疲れた。
2012年3月24日
函館中央病院で迎えた八日目。

朝起きたら、けっこうな降雪と積雪。
ブルドーザーが病院の駐車場を除雪している。

起きぬけに採血一発。

体重に変化なし。

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朝食/知内のニラをたっぷり食べたい。ステマじゃないよ。

主治医の回診。
血液検査の結果。ほとんどの数値は改善へ。
ただし、尿酸値だけ顕著な上昇。
食生活に影響を受けやすい数値なので、
主治医いわく「私の知識では、いまのところ原因はわかりません」と。
3年前の入院治療でも、同じような現象が見られたが。
いちおう金と時間をかけて入院しているので、食事にずるはしていない。
食事の他に影響をおよぼすのは、過度なストレスと激しい運動である。
自分の身体がよくわからない。

昼前に妻が来院。健康診断を受けたついで。

来月から、また別居になる。
結婚後初の同棲生活は1年弱で終わった。
住居の手配やら引っ越しのだんどりやら。

昼飯。撮影し忘れた。
横に妻がいて、浮き足立っていたのかも知れない。

ごはん、焼き魚、ほうれん草おひたし、れんこん、味噌汁、だったはず。

午後から一時帰宅。
外出届に記載する外出理由を「便秘解消」と書いておいたら、
看護師さんが笑っていた。

郵便物や宅配便の整理、仕事のだんどり、トイレ。

2時間ほどで病院に戻る。

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晩飯/主菜はモヤシと肉。しょっぱかった。でも、家から持ち込んだ「オールフリー」にぴったりだった。

明日の体重減を期待しつつ就寝。






【自分史草稿(八)】-----------

家から100mほどのところに小さな商店があった。
幼い私でも狭いと感じるような間口の店だ。
何度かお使いに行った記憶がある。
ある日、その店へ行く途中で子犬を見つけた。
そばに大人がいたので、きっと飼い犬だったのだと思う。
首輪やリードなどはしていない。
私は生来の臆病であったが、白い子犬をさわってみたくて近づいていった。
大人もいるし大丈夫だろうと。
ところがである。子犬は私に向かって猛然と吠えだし、
驚いて後ずさる私に飛びかかってきた。
さらに、走って逃げ出す私を、それはまるで獲物を見つけた猟犬、
いやライオンやチーターのように追いかけてきたのだ。
その様子を見ながら、大人は「逃げるからだぞー」と笑っていた。
私はその小さな店に逃げ込み、しばらく帰宅することができなかった。
ずっと「大人なんだから助けてくれたらいいのに」と恨み言をつぶやいてい。
私はもっと臆病で引っ込みがちな性格になっていった。

家から400mほど、赤川通りとの交差点には、もうすこし大きめの商店があった。
たしか名前は「赤川ストア」だったか。
いまは、その向かい側にセブンイレブンがある。
赤川の自宅前の通りは「むつみ通り」という名前がついているらしい。

道幅はさほど変わっていない気がするが、赤川通りはまだ舗装されていなかった。
通りを500mほど歩くと中規模スーパーの「つしま」があった。
家からは1kmくらいになるのか。
日常食料品の買い出しはここだったと思う。
いわゆる「お出かけ」や「お買い物」は大門へ行くわけだ。

「つしま」の2階には、いっときレストランが開業していた。
幼い私はいつもその店が気になっていた。
たしか冬の日だ。そのレストランで食事をしようと出かけたことがある。
喜び勇んで扉に手をかけると、本日休業だった。
そのときの残念な気持ちを、いまでもきっちり思い出すことができる。
子どものころから根に持つタイプだったようだ。

病気になると小松病院に連れていかれた。
この病院はいまも現存している。現在、「学園通り」と呼ばれる通りにあり、
「コープさっぽろ」の向かい側だ。
ここにはかつて運転免許試験場があった。
2012年3月23日
七日目の函館中央病院。

いつものごとし。体重に変化なし。
つまらん。

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朝食/愛想のない目玉焼き。

午前中、新はこだて農協の田山さんが病室に顔を出す。
今日は年一回の人間ドックだったそうで。
春からの農業体験番組の話、
仙台で開催した「みなみ北海道グルメパーク」の話など。

新年度に動く事業なども、いろいろ耳にする。
北斗市では新幹線開業に向けて、
北斗市らしい(それはつまり大野町・上磯町らしい)事業を、
官民でいろいろ考え動かしていくようだ。
ぼくは新幹線について、いまのところなんの定見も持っていないが、
このように、ひとが集まって考えて行動しだすのは、
とても良いことだと思っている。
きっと、なにか手伝えることもあるだろう。

大雪と農産物の話も。
まぁ、やはりこれだけ降れば、影響はあるようだ。
野菜で言えば、露地もハウスも需給タイミングのずれが価格に影響しそうだ。
お米に関しては、おそらくすこし遅れるくらいで、品質にはあまり影響しない。

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昼飯/麺類はつるつる食べてしまうので、「ゆっくり食べて満腹になったような気がするじゃないか、いやはや驚き」作戦が使いにくい。

リハビリ室で軽いストレッチのあとで、エアロバイクを40分。
今日はすこし負荷を増やしての運動。
心拍を把握しながらの運動は、あまり疲れないけど筋肉に効いている感じがする。
本当におもしろい。

病室に戻って、さて仕事するか、とサムネを切り出したら、
お見舞いにもうひとかた。
以前、「ハコダテ150」というサイトでご一緒させていただいた青年だ。
お互いに古い物自慢の話をする。
楽しく仕事をしてください。それがいちばんです。

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晩飯/今日はあまりおいしくない。滋養には良いのだろうけど。


ツイッターとフェイスブックを、すこしだけ復帰させてみた。
ただ、あまり積極的にそれらのツールを稼働させるのには、まだちょっと躊躇がある。
知らない人から、いろいろ言われるのは、本当に胃が痛くなる。

知人なら、
「あー、こいつはこんな人間だからな、これくらいの戯言はいつものこと」
となるところを、ちくちくと(メディアの人間としていかがなものか的に)言われると、
いつから俺はそんな立派で影響力の大きな人間に認定されたんだよと思う。
それやこれやと、IFNの影響による精神不調で、
しばらくツイッターもフェイスブックもブログも触りたくなくなっていたのだ。







【自分史草稿(七)】-----------

家の前は舗装道ではなくて、先のとがった石が敷き詰められていた。
採石されて砕かれた石だったのだろうか。

ある日、すっころんだときに、その砂利道に手をついたら、
手のひらの皮がべろりとむけたしまったことがある。
サビオ(絆創膏のこと)を貼られて、たぶん1週間くらいで治ったのだが、
皮膚が再生した手のひらを見てみると、手相が激変していた。
カーブを描いていた手のひらのしわが、3本に分断されて並列していた。

手相占いってのがあるが、すっころんだくらいで変化する手相を見て、
未来のなにがわかるというのだろうか。
この事象からわかるのは、転んで顔に傷をつけるほど
鈍い子どもではなかったということくらいである。
将来、酔っぱらって転んで、まぶたの上を切ったのはまた別の件だろう。
3月22日(木)

函館中央病院にて六日目。
左頭が日焼けしそうだ。気温もそれなりとラジオの天気予報。

廊下の向こうから聞こえてくる声や、
カーテンのすきまから見える光景から、
医療現場の事情、そして、社会の事情が見えてくる。

高齢者向けの情報媒体をつくる仕事をしてから、
  (まぁ、団塊世代の親も、じわじわじわりと高齢者に脚を踏み入れているし。)
老後とか介護とか福祉に関連する書籍をかためて読んでいる。
そのうち、病室に持ち込んだ2冊。

 ◆西垣千春著『老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策』(中公新書)
   高齢化社会における幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる。
   医療が進歩したり、福祉が拡充されても、
   やはり、今も昔も変わっていない根本は変わっていない、ということ。 

 ◆大井玄著『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)
   幸福度を高める準備を怠っていると、どうなるか。
   その結果のひとつが、「痴呆(認知症)」ではないだろうか。
   当事者、関係者、そして社会の成員として、なにができるのか。
   そんなことを考えつつ読んだ。

アマゾンで、医療社会学に関連する書籍を数冊注文。

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朝飯/病院でしか見たことがない梅びしお。

12時、個人栄養指導。

食事療法に関する知識は十分ということで、
失敗の原因とこれからの対応について話し合う。
とは言え、ぼくと管理栄養士で意見はまったく一致していた。

あとは、なぜか去年の4月から外来診察での糖尿病指導と食事指導が外れていたので、
(原因はよくわからないし、肝炎治療が思いのほか辛くて気がまわらす放置してた)
退院後の再開をお願いすることに。

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昼飯/八宝菜のタケノコだけ残す。このカボチャうまい。

いそいで昼食。

リハビリ室で軽い運動。
エアロバイクに心拍計が付いていて、その目印に運動するという行為が楽しい。
これまでバイクには、
スピードとケイデンスだけを計測できる機器を取り付けていた。
トレーニングってほどではないので、ハートレートモニターはいらないと判断して。
でも、効率よく、かつ長く運動するには、
このモニターが重要かつ良い指針になると実感。
スピードメーターだけだと、短時間でもどれくらい速度を出せるか、
そっちに気をとられちゃうんだよね。
心拍計(ハートレートモニター)の購入を決意する。

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晩飯/肉だ。すごいもんだ。痩せないよ。これじゃ。

半年ぶりに、運動意欲がわいてきたので、
 (肝炎治療の影響で体力・気力ともに萎えてしまっていた)
入院中に細々準備をしておくことにする。
とりあえず、携帯電話(au)のダイエット記録系のサービスを登録してみた。







【自分史草稿(六)】-----------

祖母(母方)とはいつごろから同居していたんだろう。
両親が赤川に家を購入は、
もしかすると祖母との同居が前提だったのかも知れない。
大正生まれの祖母は、和裁(着物を仕立てる仕事)をしていた。
内職にしては、それなりに稼いでいた。
祖母の部屋に遊びにいくと、きれいな反物がいくつも広げられていたり、
竹尺やら、チャコやら、針や糸、よくわからない道具がたくさんあって楽しかった。
ただ、たまにたいへん高価な着物の依頼があるらしく、
たとえばミカンなどを握りながら部屋に入っていくと、
針を刺すよ、的な脅されかたをして、追い出された(気がする)。

母は札幌とその近郊で生まれ育ち、
あまり恵まれていない境遇を、歯を食いしばって乗り越えてきた人だ。
母の生い立ちについては、はっきりすべてを聞いたことはないが、
とくに幼少時のエピソードは書き綴るのをためらう。
とは言え、おそらく私の人格形成には、
どちらかと言えば母親の影響を受けているようなので、
きっちり対峙しておく必要があるとも感じている。

 十年ほど前に、母親を石狩市八の沢に連れて行ったことがある。
 母が小学校時代を過ごした場所で、かつて石油採掘がおこなわれていた。
 母はよく八の沢での悲喜こもごもを語ってくれた。
 そして、かならず最後に泣き出した。
 石狩市に問い合わせをして、場所を確認してから訪れた。
 わずかに、小学校の校門だけが残っており、
 それ以外の痕跡はまったく失われていた。
 とても、人が住んでいたとは思えない景色になったいた。
 母は泣きながら、幼いころの思い出をぽつぽつと語っていた。

母は札幌北高校を卒業した。
同級生の多くは北大に進学していったという。
おそらく、母にも進学へのあこがれはあっただろう。
家庭の事情はそれを許さなかったらしい。すぐに稼ぐ必要があった。
たしか、北海道労働金庫に就職し、さらに松下電送機器へ転職したらしい。
そういえば、母の本棚に松下幸之助の本があった気がする。
その後、国鉄松前線で父と出会うわけである。
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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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