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 無事に退院できたので総括しておく。いつか同じ症状を感じた時に役立ててもらえるかもしれない。今回は「狭心症」からの「経皮的冠動脈形成術(PCI)」という治療。
 なお、医療に関する記述は、俺の記憶やメモに基づくものなので、間違いや勘違いがあると思う。これは金をもらった原稿ではなく、個人的な手記なのでご了解願いたい。

 はじまりは正月7日明けころ。晩飯に餅を食べて寝転がって間もなくして、強烈な胸焼けを感じた。胸がつまる感じから、次第に胸が重苦しい感じに。横なっていられなくて、起き上がって苦しんでいると、妻が背中を擦ったり叩いたりしてくれて、苦しさを紛らわすことができた。3時間ほどで症状が収まった。餅は消化に悪いと言うし、食べすぎたかしらと首をかしげて終わった。
 その数日後の土曜日、午前中に鍼灸院で鍼とマッサージの治療を受けていた。所要時間は60分弱なので、その間はずっとうつ伏せになっている。治療の半ばあたりで胸が苦しくなってきた。なんだろう、朝食は食べていないので胃もたれのはずもなし。そんなことを考えながら治療を終え、いつもはついでに実家へ顔を出すのだが、だんだんと苦しさが増してきて、これはヤバイと直行で帰宅。そこから夕方まで胸の苦しみが続いた。さすがに病院へ行こうかと思ったが、土曜日であることに躊躇した。また、苦しみながら「胸の痛み」などをネット検索すると、胃の不調と心臓の不調のふたつの可能性があると知った。
 ここで正常性バイアスが全開になり、こりゃ年末年始の暴飲暴食と佳境に入っていた編集仕事のストレスで胃腸がやられたのだろうと判断し、様子見の判断をしてしまった。約6時間ほど経って、ようやく胸の苦しみがなくなった。この日から、胃腸を労るつもりで食事は「おかゆ」中心にした。
 その後のおよそ10日間、夜中・朝方・夕方と時間やシチュエーションに関係なく大小の胸の苦しみが頻回になる。何年も胃カメラを飲んでいないし、ここは面倒でも検査を受けようと、週3で透析治療をしている函館泌尿器科の主治医に、胸の痛みを報告しつつ胃もたれじゃないかと伝える。ここで良かったのは主治医の判断で、患者の妄言(胸が痛いのが胃もたれのせいだ)を取り合わずに、循環器科への紹介状を書いてくれたことだった。とは言え、俺自身は胃の検査をしたいのに、心臓を検査するなんて遠回りだなと愚かにも考えていたのだが。
 2月上旬、函館新都市病院の循環器科を受診。これまでの経過と症状を紙に書き起こして持参した。レントゲン・エコー・MRI(造影剤入り)で心臓を綿密に検査。頻回に起こる症状と画像から観た心臓の状態から、狭心症の疑いがあるということになり、なるべく早めに精密な検査を行うことを強く勧められる。こちらは呑気に胃のせいだと思っていたし、抱えている編集仕事は切羽詰まって1時間も無駄にできない状態だったので、最初は4月でどうでしょうかなどと言ったいたが、医師の「手遅れになるかも」という言葉を耳にして、可能な限り早い日程で検査入院することにした。
 入院の数日前までに印刷所へデータを渡し、3年かかった書籍の作業に目処がついた。2月20日、心臓カテーテル検査で入院。鼠径部からカテーテルを入れ、冠動脈(心臓に栄養を送る動脈)の近くまで通して、血管に造影剤を直接流して、立体的なMRI映像を撮影した。検査に要した時間は1時間ちょっとだったと思う。その後、医師から「冠動脈の重度の狭窄が2箇所。心臓の3割ほどが機能低下もしくは停止しており、心筋梗塞の状態である。なるべく早く、狭窄部位の処置が必要。手術の方法はカテーテルによるステントの留置か、胸を開いて血管にバイパスをつくるかの2つ。部位の状態が難しいので、手術は別の病院を紹介する」と説明される。ここでようやく正常性バイアスは崩壊し、そうかやっぱり心臓だったのかと覚悟を決めた。
 2月28日、市立函館病院の循環器科を受診。レントゲン・エコー・MRI。3月5日、再受診。医師からの検査結果の説明。やはり手術は必要だが、胸を開くバイパス手術ではなく、カテーテルによるステント留置で済みそうだと聴いて、すこし安心する。バイパス手術になる場合は、低侵襲(小さく切開する)の手術にしたかったので、市内で難しければ札幌か東京で手術しようと考えていた。とは言え、俺の心臓の狭窄は重度であり、すべての箇所を一度には手術できないとの説明も受けた。思えば2018年12月に独り暮らしの部屋で亡くなった弟は、後に受け取った監察医による診断書に冠動脈の疾患と書いてあった。同じだ。あいつはこの胸の苦しみを独りで耐えて、そうして独りで逝ってしまったのか。苦しくて痛かっただろうな。
 3月は確定申告(自民党の裏金脱税議員に鉄槌を!)、テレビ番組の収録、札幌出張、2ヵ月ごとに実施している腕の血管の手術(透析関連)、年度末納品の仕事、飲酒のお約束が3つ、そして当然ながら週3回の透析治療。入院はそれらをすべて解消してからにした。
 3月31日、市立函館病院へ入院。日額3,300円(税込)の眺めの良い個室に入ることができて、手術を控えながらもご機嫌だった。4月2日、1回目の手術。左冠動脈を狭くしているプラーク(石灰化)を超音波とバルーンで崩し拡げてからステントを留置する。手術時間は2時間ほどだった。痛みはカテーテルを入れる部位にする局所麻酔のプツリとしたもののみ。麻酔なしでおこなった透析穿刺の痛みに比べたら全然平気だった。術中も術後もまったく痛みなし。医療技術の進歩に大感謝だ。術後、動脈からカテーテルを挿入しているため4時間の止血が必要で、その間は身動きができないのが辛かったが、妻に来てもらって気を紛らわすことはできたのは幸いだった。
 4月4日、2回目の手術。右冠動脈はさらに重度な狭窄があり、超音波とバルーンのみではプラークを処理できず、ドリルで血管内を削る手術となった。なかなかの音をたてるドリル、胸の奥で感じる振動。貴重な体験だった。手術時間は4時間弱。手術による痛みはやはり最初だけだが、意識があるなかで4時間も身動きができないのはものすごく辛かった。さらに加えて、そこから4時間の止血時間も動きが制限されるので、この2回目の手術は本当にきつかった。
 結果、一連の手術は成功ということだった。4月6日、朝10時には退院。その夜は珍しく豚肉ではなく、わりとお高めの牛肉を少量購入して、すき焼きを食べビールを一口飲んだ。

 俺の狭心症の原因は動脈硬化である。肥満・高血圧・糖尿病・喫煙・運動不足などによって血管の柔軟性が失われ、さらに血管内が石灰化することで狭窄が起こる。三十代半ばに糖尿病と診断され、それから努力したり怠惰になったりを繰り返しつつ、動脈硬化に対処する薬は服薬してきた。また、取材でも飲酒でも歩き回っていたし、趣味で自転車にも乗っていたので運動不足という状態ではなかった。しかし、四十半ばで透析が始まってから、いっきに体力と気力が低下して、日ごとに歩く距離は短くなり、歩くスピードは後期高齢者なみの速度になって、あきらかな運動不足になっていた。また、透析患者つまり腎臓が動いていないと、血中のリンの濃度が高くなり、その結果として体内のカルシウムが過剰に溶けだし、血管内の石灰化が顕著に進むことになる。
 糖尿病(2型)にしても、動脈硬化症にしても、いわゆる生活習慣病は予防できる病気である。俺はもう手遅れだが、みなさんはぜひ過信せず予防に努めてほしいと思う。
 その根源をいつか分析したと思っているが、俺には生きることに「投げやり」な感覚がある。若いころから意識はしていた。結婚はしたが子ども得ることがなかったので、誰かのために生きたい(長生きしたい)という感覚を強く持つこともなかった。そのクセ、俺自身は弟のようにぽっくり逝くことなく、もう15年近く高額な保険医療費を貪り続けている存在である。いくつか抱える病気や障害の予後を考えると、長生きできても60歳くらいだろう。残り10年弱。その期間のすべてを活動できるとも限らない。残りの時間をどうやって使おうか。怠け者の俺に、その短い時間で成せることはあるのだろうか。
うまい酒は飲み続けたい。とは思う。
 北海道・東北エリアのケーブルテレビ局による自主制作番組コンテスト「第2回しばれるアワード(主催:日本ケーブルテレビ連盟 北海道支部・東北支部)」で、昨年(2020年)夏にNCV函館センターで配信された番組「函館図鑑 戦後75年 函館と戦争の記憶Ⅱ 旧戸井線を訪ねて」が、放送番組部門の準グランプリを受賞しました。

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 小学2年のときに運動会の障害物競走で5等賞をもらって以来となる受賞なので、本音のところでは2番で悔しい気持ちもありますが、こんな投稿をしてしまうほど嬉しいです。

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他の受賞作品や作品の講評はこちらの動画で。
YouTube 
第2回しばれるアワード各賞発表 2021年3月25日発表

番組講評から関係分を抜粋引用。

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すべては取材にご協力いただいた皆さんと、
毎回でもたまたま偶然にでも番組をご視聴いただいている皆さんと、
ぼくのワガママっぷりを受け入れて番組制作をしてもらったスタッフの皆さん、
それぞれすべてのおかげです。
感謝。次は1番と評価されるよう頑張ります。

【取材協力】髭和子 村山信夫 吉村冨士夫 西村滋樹 練谷喜文 蛯子孝 外崎幸夫 後藤良一 旧戸井線沿線住民 ※敬称略
【資料図版提供】函館市中央図書館 国土地理院 University of Texas Libraries Guutara ものかき工房
【参考資料】函館市『函館市史 亀田市編』『銭亀沢編』 恵山町『恵山町史』 戸井町『戸井町史』 函館北高等学校郷土史研究部『戸井線の研究』 富岡由夫『汐首岬砲台施設と遺構』『旧戸井線と汐首岬砲台について』 富岡由夫・山田祐平「汐首岬砲台と戸井線について」 函館YWCA『はこだてピースマップ』 函館市史編さん室『函館むかし百話』 戦争・敗戦・復興の記憶を記録する会『海峡の唄』 森口誠之『鉄道未成線を歩く 国鉄編』 伊藤正大『幻の鉄道 戸井線の今』 北海道旅客鉄道株式会社『道南鉄道100年史 遥』 日本国有鉄道 青函船舶鉄道管理局『航跡 青函連絡船70年のあゆみ』 田中和夫『北海道の鉄道』 アジア歴史資料センター 集まれ!北の学芸員「計画中止となった幻の鉄路 戸井線」 Wikipedia「戸井線」「大間線」「津軽要塞」
【使用音源】SC-Mirai「鉄道唱歌 車内オルゴール 車内チャイム 鉄道 電車」
【撮影・ドローン撮影・編集・ディレクター】坂本 篤(CCSスタジオ)
【AD・撮影】市川 徹(NCV)
【プロデューサー】一森裕正(NCV)
【企画・取材・構成】髙山 潤(ものかき工房)
函館エリアのケーブルテレビNCV にて最新「函館図鑑」配信中。
第16回目のテーマは「函館の河川」。亀田川・鮫川・小田島川・松倉川などを紹介。ふだんはあまり気にしない日常の風景に目を向けてみました。函館には広い河川敷を持つ河川がないので、川に親しむ機会はあまり多くありませんね。

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鮫川に架かる本通公園橋にて。

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函館市街地のおもな河川。

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松倉川中流。ドローンで撮影。

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松倉川の林道を走る。

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残念ながらゴミが目立った。

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【取材協力・資料提供】函館市土木部公園河川管理課 北海道渡島振興局函館建設管理部事業室治水課 函館中央図書館 北海道大学附属図書館 市立函館博物館 亀田川を美しくする会

【参考資料】木村裕俊『はこだての街を作った人たち 願乗寺川物語』 函館・松倉川を考える会『清流 松倉川 ─私たちの川、いまダム問題を考える』『ダムがムダな理由 時のアセスメントと松倉ダム』 函館市『函館市史 通説編第一巻』『函館市史 別巻亀田市編』 北海道大学附属図書館『明治大正期の北海道』 函館市水道局『函館水道百年史』 平凡社地方資料センター『日本歴史地名体系第一巻 北海道の地名』

【地図制作】ものかき工房
【撮影・編集・ディレクター】坂本 篤(CCSスタジオ)
【AD】市川 徹(NCV)
【プロデューサー】一森裕正(NCV)
【企画・構成】髙山 潤(ものかき工房)
【初回配信日 2020年4月17日】

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 5歳違いの弟、私の自慢の弟である高山晋が、東京の自宅で急逝しました。現時点では亡くなった日時や原因は特定されていませんが、おそらく12月21日以降に異変(行政解剖による虚血性心不全という仮所見)があった模様です。
 1978年(昭和53年)生まれの41歳でした。

 生まれ故郷函館や大学での学生時代、そして東京で大好きな雑誌や書籍の編集者・編集長として活動できた19年間。それぞれの場所で多くの皆さまに支えられ、あまりに、あまりにも短い時間でしたが充実した人生だったと思います。高山晋との記憶を共有しているすべての皆さまに深く感謝いたします。

 12月28日に東京にて火葬を終えて、お骨は函館へ帰ってきました。両親の心労も大きく、葬儀は家族のみ執り行う予定です。皆さまのご厚意はすべて辞退させていただき、そのお気持ちだけを確かに拝受いたします。いつかお時間のあるときにでも、あいつの思い出を聞かせてください。

 悲しませるくらいなら、心配や迷惑をかける方がマシだ。両親の背中を見て、そう感じた次第です。

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 子どものころのことを思い出している。ふたりで一緒のタオルケットにくるまって、俺の語る即興の物語を聴いていたっけ。こちらが飽きて話を止めようとすると、もっととせがまれて無理やり話を紡ぐ。どんどん話が訳がわからなくなって、ふたりで笑ってた。

 やりたいことがあって、それには大卒の資格はいらないので、大学を4年目で中退すると相談されたときは驚いた。卒業くらいしとけよ、とありきたりのアドバイスしかできなかった。
 その後すぐに、東京で有力な編集プロダクションに潜り込んだと聞いて、やっぱりあいつは優秀なんだなと思った。でもあとで話をしたら、卒業単位がまったく足りてなかったそうだ。戦略家であるあいつらしいやり口だ。

 俺の弟は全国誌の編集長なんですよ、函館の書店にも平積みされてますから、成人向けですけど。
 まるで俺の手柄のように、みんなにそうやって自慢するのが嬉しかった。すごく嬉しかった。でも、あいつの雑誌や書籍はAmazonか駿河屋で買ってたけれど。

 子どものころはファミコンやPC8801で「信長の野望」や「三國志」をやりたおしてた。その隣にいつもあいつが座ってた。
 近年でも帰省してくるたびにファミコンを引っ張りだしてきて、三國志2のゲーム音楽を聴きながら、横山三国志の南蛮征伐あたりの話を笑いながらするのが楽しくて。

 函館で最後に会った今年八月下旬、あいつがニヤニヤしながら持参したお土産は、東京国立博物館で開催されていた「三国志展」で購入してきた横山三国志のグッズだった。最高だった。たくさんあったものを、ふたりで山分けしたのだが、これで全部俺のものになるのか。嬉しくないよ、馬鹿め。

 ムーくん、ムーくん。不肖の兄にとって優秀な弟の存在は、子どもの時分には憎らしく感じることもあったが、大人になってそれぞれの分野で経験積んだ上で話をしたら、やっぱりあいつは頭がいいんだなと白旗を上げることができた。
 ムーくん、その優秀な思考があれば、病気だって回避できたんだよ。

 あれはいつだったか。兄弟三人でサイコロを振りながら実家の近所を散歩したな。2人が函館に帰省するたびに、俺はまたあれをやりたいなって思ってたんだ。同じ街角に、それぞれ違った思い出があったり、時を隔てても似たような記憶があったり。それは俺の執筆テーマでもあったんだ。

 あいつに教えてもらった豚カツもモツ煮込みも、いつか店をめぐって食べておきたい。東京であいつと飲み歩いたのは1回だけだった。両国・森下界隈で五軒くらいハシゴして、夜道をぶらぶら散歩しながら帰った。あいつは近年お酒を飲むようになって、俺は酒をがぶ飲みできない身体になって。

 あいつが小学生のころに描いた漫画「ファミコン野郎」。ゲームを取り合う兄弟の日常(闘争)が描かれ、見事に機器を奪取した弟は徹夜でゲームをする。最後のコマは顔のアップで、目が血走っていた。「目真っ赤」という添え書きが俺たちの笑いのツボだった。いつもそう言われて親に叱られていたから。

 遺影を選ぶ。
 十年前に写真館へ行って家族みんなで撮った写真。あの時、これが遺影になるのか、なんて冗談を言っていたわけだが。まさか、老いた両親よりも先に、おまえの写真を選ぶことになるなんて。親不孝するなら俺だろうと思っていた。
 あの背中を見ていたら、先には逝けないよ。
8月18日(土)19時から、函館エリアのケーブルテレビ局NCVにて
企画・構成・出演の新作「函館図鑑 パンダが来た夏」が配信されます。
30年前(1988年・昭和63年)に函館市で開催された「青函博」について
中国から来た2頭のパンダを軸に調査しました。

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番組では中学2年生の私も一瞬登場します。
たまたま同年に末の弟が生まれて、はりきった父親が柄にもなく
VHS-Cのビデオカメラを購入しました。
そのおかげで、30年前の不機嫌そうな顔をした私が
映像として21世紀まで残りました。

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当時14歳の私には知ることができなかったパンダ招聘の背景と偉業。
青函博というイベントが後世の函館に残したモノやコト。
懐かしい映像ととともにお愉しみください。

【取材協力】
 池田動物園(岡山県岡山市)
 函館日中友好協会
 函館華僑総会
 函館商工会議所
 函館博物館
 函館中央図書館
 函館市企業局
 ヤマサ産業

【参考資料・文献】
 青函トンネル開通記念博覧会実行委員会編『青函博・函館EXPO88公式記録』
 函館中央図書館所蔵「北海道新聞」青函博関連記事切り抜き集
 函館蔦屋書店『peeps hakodate』vol.31(2016年6月号)「あの夏、パンダがやって来た。」
 小川正樹「19世紀から20世紀にかけての函館外国人居留地と華商の活動」(函館私学研究紀要 第43号)
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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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